ああ言えばこう言う啓示板



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カテゴリ:[ 子供/学校/教育 ]


585件の内、新着の記事から50件ずつ表示します。


[595] とりあえず

投稿者: SuperT 投稿日:2020年 8月 7日(金)05時13分6秒   通報   返信・引用

 昔、生徒の万引き事件で警察に同行し、供述調書の作成に立ち会ったことがあります。
婦警さんに「『僕のやった悪いこと』という作文をつくります」と言われて、前もって私が調べた資料をもとに口述筆記を行っていくのですが、感心したのは、一人称で物語を書いていくと、あいまいだった部分がどんどん埋まっていくことでした。

 何月何日に、どこどこで、だれだれと落ち合ってこんな会話をして、そのうちに万引きしようということになって、ボクがああ言うと友だちがこう言って・・・と延々とやっていきます。時々婦警さんが口をはさんで不審点を補足させさらにその先へ・・・と続けていくと、客観的事実は思い出せなくても、主観的事実は繋がっていますから、自然と話は続いていき、何回も「ああそう言えば」みたいな話が出て、最終的にはひとつの立派な物語になりました。
 おそらくその中には客観的事実とは少しずれた部分もあったと思うのですが、必要なのは首尾一貫した(主観的・客観的)事実ですので、それでよかったのだと思います。

 ネルさん、長い文章を書くのは苦ではありませんよね。
今日は間に合わないとしても、土日でまとめればよいものであれば、ぜひやってみるといいと思います。まず書き始め、時系列でだらだらだらだら書き連ねる――もちろん職員会議等、他人に見せる場合は、物語風のものをあとで整理し直します。
書いているうちに、“自分でも気がつかなかった思わぬ発見”というのがいくらでも出てくる場合があります。おすすめです。




[594] 残念ながら(ある意味予想通り)

投稿者: ネル 投稿日:2020年 8月 6日(木)23時42分52秒   通報   返信・引用 > No.593[元記事へ]

T先生

すべては終わりました。

と言いたいところですが,また始まりました。
次のターゲットを見つけるのは卒業後ではないかと思っていましたが,なんとその日の午後でした。

詳しいことは書きませんが,別の生徒の行動が気に入らなくて,傷ついたと主張しています。
ただし,今回は「いじめ」ではありません。
(前回だっていじめではありませんが。)

>  もっと早く「これは“いじめ問題”ではなく、モンスター・ペアレンツ“の問題だ」と切り替えておくべきでした。

ここで事前に「モンスター・ペアレンツ」という語を与えていただいていたおかげで,今回の問題に関する会議で「これはいわゆる『モンスターペアレント』への対応ですね」と投げかけることができました。
会議の雰囲気が一変し,外部へ助けを求めようという方向に行きました。

ただ困ったことに,この件に関する資料を作れと言われてしまいました。
私はここ2週間ちょっと,この子の件に関しては記憶が定着しません。
メモを取っても途切れ途切れで,何のことやら分かりません。
一連の流れを資料にしろと言われても,ほとんど何も思い出せないし,たとえ思い出せたとしても時間がかかります。
何か大きなものが抜け落ちています。
夜7時に資料を作れと言われて,明日の午前中に完成させるのは無理です。
呆然としながら,ここに書き込んでいます。

今日あった個人懇談のことは,あとでもはっきり思い出せます。
個人懇談では,何人かの保護者から,今回の騒動について聞かれました。
子どもの立ち位置によって,保護者からの見え方も全然違い,「狂ってますね」とハッキリ言う人はいいのですが,「先生,大変でしょうが,(いじめの被害者を)支えてあげてください」と言う人もいて,めまいがしました。
生徒を支えるという点は私の仕事ですし,その点は異論はないので,「がんばります」と答えましたが。


それにしても,この親子(特に母親),私が想定していた以上に重度の発達障害を持っているように感じます。
ひょっとするとこの母親,「サリーとアンの課題」はできないかもしれません。
そのくせ,単位取得の説明などきちんと紙に書いて示したものは理解しますから,知的にはかなり高いです。

異常にメモを取り,全く関係ないものどうしを結び付けて無理なストーリーを作り,やたらに人を攻撃するくせに,しばらくするとなかったことにしてしまう人・・・どこかで見たと思ったら,義母にそっくりです。
以前,この親子の件で愚痴ったら,夫の機嫌がとても悪くなったので,もしかしたら今回と似たようなことが夫の身の回りでも起こっていたかもしれません。

ちなみに義母は,あれだけ嫌がっていた老人ホームに入所することができました。
事前に役場に,「一切関わりたくないけど,顔を合わせなくて済むなら何でもするから,お金も出すから,何かあったら私に連絡よろしく」と話しておいたら,担当者が代わったタイミングで,一気に話が進みました。
すでに80代ですので,支離滅裂な言動もほぼ認知症と区別がつかないようで,それなりに生活しているようです。
もう二度と,警察から電話がかかってくることはないでしょう。
また,おそらく二度と会うこともないでしょう。
最期の時まで,すべて面倒を見てもらえるそうです。

義母の件が片付いた翌日に「いじめ」による不登校は始まったので,何の因果かなと思ってしまいます。


> しかし信賞必罰。
> 卒業後だっていいじゃないですか。いつか相手に天罰が下り、いつかこちら側が理解される日が来ます。世の中はそうなっています。長く生きてきた私が保証します。

早く天罰が下る日が来ますように。
資料は1行も進んでいませんが,寝ます。



[593] すごいな。

投稿者: SuperT 投稿日:2020年 8月 4日(火)09時11分21秒   通報   返信・引用

 万々が一の可能性まで考えて、
「しかし本当に『相手と直接会って感情をぶつけたい』と言うようでしたら」
と書いておいてほんとうによかったと思います。
 私が考えていたよりずっと状況が悪かったみたいですね。相手と直接会って感情をぶつけたいとそこまで言えるのは、よほど知的に問題があるか、行きがかり上、ああ言えばこう言うで引き下がれなくなった場合だけです。
 もっと早く「これは“いじめ問題”ではなく、モンスター・ペアレンツ“の問題だ」と切り替えておくべきでした。もっとも一般社会と違って、学校に求められるのは最終的に「金」で解決できない者も多く、教師は真面目ですから誠心誠意たいせつに扱おうとして深みにはまります。よくあることです。
 クレーマーだと分かっていれば、これ以上はダメだというところに早めに線を引いて、そこを死守するようなことができたはずなのに――。

 私の場合、市教委が早い段階で介入してくれたのは、私以前の担任との間でもう何回も面倒なことがあって、相手がクレーマーだという認識が管理職にも市教委にも十分あったからです。私が最初だったら問題の質を明らかにするだけで時間のかかったことでしょう。
ネルさんはそこからやっているわけですから大変です。

しかし信賞必罰。
卒業後だっていいじゃないですか。いつか相手に天罰が下り、いつかこちら側が理解される日が来ます。世の中はそうなっています。長く生きてきた私が保証します。



[592] Re: 対象化することで

投稿者: ネル 投稿日:2020年 8月 3日(月)21時43分11秒   通報   返信・引用

T先生

ありがとうございます。

>  この「相手と直接会って話をし、感情をぶつけることです」は、ネルさんの判断ですよね? 私が申しあげているのは本人(とその保護者)がどう考えているのか、本人の言葉で聞きたいということです。

私の判断ではありません。
本人の言葉であり、保護者の言葉です。

>  しかし本当に「相手と直接会って感情をぶつけたい」と言うようでしたら、言った本人がその不条理に気づいてくれるかもしれませんし、そうでなければ「“相手と直接会って感情をぶつけたいという”のが本人親子の希望です」と報告するだけで、職員や管理職の受け止めは違ってくるでしょう。

言った本人は、その不条理には気づく気配はありません。
気づく能力がありません。

他の職員は、力のない担任に代わって交渉してくれましたが、やはり本人と保護者の主張は変わりませんでした。
ここでやっと、他の職員たちもこの親子の異常さに気づいた次第です。

ただし、担任がその前の1ヶ月間ずっとこの親子の相手をさせられていたことにまで考えは及んでいません。
その間、ずっと着地点を一人で探していたのです。
もう余力はありません。
他の職員にお任せします。

もうすぐ終わりです。



[591] 対象化することで

投稿者: SuperT 投稿日:2020年 8月 3日(月)10時30分18秒   通報   返信・引用

 きちんと返事をしようと思えば長くなりそうですが、今日明日の対応もありますから要点だけ、いったん返事をしておきます。

「> 以前にも訊きましたが、その親子は何が望みなのでしょう?
相手と直接会って話をし、感情をぶつけることです」

 この「相手と直接会って話をし、感情をぶつけることです」は、ネルさんの判断ですよね? 私が申しあげているのは本人(とその保護者)がどう考えているのか、本人の言葉で聞きたいということです。

 私はかつて自分自身が被害者である事件で、強硬にクレームを入れたことがあります。そのとき最後に相手の言った言葉が「何がお望みですか?」でした。その言い方にも頭に来たのですが、反射的に「何が望みか」と考えたら、相手に対する注文は謝罪と金銭的補償でしかないことが分かったのです。
 もちろん警察に訴えて裁判にしてもいいし、弁護士を入れて慰謝料の請求もしていい案件だったかもしれないのですが、それは“相手”に要求するものではなく、警察や弁護士に言うべき内容です。
 腹は立ちましたが、問題のかたちを見るには良い契機でした。

 ネルさんの場合で言えば、相手が「加害者を退学にしてほしい」と言いえば、退学にできない理由を話すだけです(ネルさん自身がやるかどうかは別ですが)、担任を替えてほしいということだったら、替えればどう解決するのかを考えてもらうようにします。
 しかし本当に「相手と直接会って感情をぶつけたい」と言うようでしたら、言った本人がその不条理に気づいてくれるかもしれませんし、そうでなければ「“相手と直接会って感情をぶつけたいという”のが本人親子の希望です」と報告するだけで、職員や管理職の受け止めは違ってくるでしょう。

 先ほど申し上げたように「何がお望みですか?」は言い方次第でかなり相手を怒らせるので難しいのですが、「最終的にどうなったらいいとお思いですか?」とか「人間関係ですから100対0というわけにはいきません。90対10でも今の問題は終わっても相手に恨みを残すだけでロクなことはないかもしれません。70対30くらいで相手の納得も引き出さないと真の解決にはならないとして、さて、妥協点はどこに置きましょう」みたいな言い方で、現実的な着地点を考えさせます。
 その間に、学校として一番やりやすい場所に誘導するのはもちろんのことです。

 とにかく重要なのは「こうだと思う」「ああに違いない」という話を当事者全員でおしまいにして、すべていちいち言語化することです。別な言い方をすればそれは「見える化」の問題で、目に見えたものを目標に解決を図っていきます。

 言語化されたものは「真の気持ち」とずれた感じがして(実際にずれていることが多いのですが)、後々訂正されることがあります。そのたびにこちらは「あのとき、ああいったじゃないか」と臍を噛まされますが、一見ムダに見えるそうした繰り返しが、結局本人の気持ちを変えたり、周囲の見方を変える要因となります。

 とにかく曖昧模糊としたものをいちいち“見えるもの”にし、考察できるかたちに替えて(対象化)対応していきます。水蒸気を冷やして水にすれば容積が減り、その水を凍らせて氷にすれば扱いが楽になるように、すべての問題は形にすれば“小さく扱いやすいもの”になるのが一般的です。
 小さく扱いやすいものになれば、こちらの恐怖やウンザリ感も軽減されます。




[590] Re: そんな人のために心傷めることはない

投稿者: ネル 投稿日:2020年 8月 3日(月)05時58分50秒   通報   返信・引用   編集済

T先生

> 問題の所在がいまひとつわかりません。

すみません。
感情的になり過ぎました。
(親がクレーマーだと分かっていたので)一人で対応するのは嫌だと言ってもフォローはなく、ずっと一人で対応させられ、問題が大きくなってからやっと組織で対応がなされました。
後から参加した教員たちに状況を全て飲み込んでもらうことは至難の技で、私の「いじめ」対応のまずさだけを指摘される度に心が折れます。

この親子がいじめだと言い始めたのは、組織で動き出す直前なのです(いじめだと言い出したので組織化された)。
最初は、生徒間のトラブルで片方が学校に来られなくなった、というだけの話だったのです。
来られなくなる直前、何度か私のところに来て悩んでいると話してくれてましたが、あくまでも生徒同士の立場は対等で、ワガママな相手に振り回されて疲れた、という程度でした。
学校を1日休んだ時点で母親が首を突っ込み始め、それが金曜日だったものだから土日に被害妄想が巨大化し、週明けには本人が学校に来られなくなった、というのが真相だと思っています。
その後も、親子で被害妄想を拡大させ続けました。
私から見れば、問題の第一は本人の家庭環境(母親及び兄弟の発達障害を含む)、第二は本人の発達障害です。
相手は、奔放な行動に気をつける程度で良い話なのです。

でも、「事実」を並べていじめ問題の会議資料をまとめると、もうこれは立派な「いじめ」に見えるのです。
被害側生徒の兄弟は発達障害の診断をもらっていますが、母親や本人は診断されていません(こちらに知らされていないだけかもしれませんが)から、そのようなことは会議資料には載せません。
母親の異常な言動も載せません。
「事実」は事実ではないのだけれども、並べると本当になってしまいます。
すると、どうしても(いじめではなく、家庭の問題に対応しようと動いてきた)担任の、いじめ問題への対応のまずさが浮き上がって見えます。
だから一人で対応したくないと言ったでしょ?とも言えず、辛い思いをしています。

>  以前にも訊きましたが、その親子は何が望みなのでしょう?

相手と直接会って話をし、感情をぶつけることです。

>  特に否定もせずに話して行けば、やがて本人も現実性のない話だと分かってきますが、

過去にも、別の生徒がターゲットになった時、生徒同士だけで段取りをして、感情をぶつける会をやったことがあるようです。
その結果、相手の生徒は呆れて、とりあえず「ごめん」と言い、あとは適当にあしらってきたようです。
本人は(おそらく発達障害を持っているので)それで上手くいったと思い込んでいます。
そんなことをしたら自分の首が締まるとは、夢にも思っていません。

今回、どうしても引き下がらないので、会わせることになりました。
夏休み直前にやる予定です。
私は、加害側とされる生徒を会わせたくはありません。
でも、これ以上問題を大きくすると、加害側に大きな被害が出ます。

>  とにかく人生のいろいろがうまくいかない、人間関係ががたつく――そのうまくいかない原因を誰かのせいにしようといつも周囲に目を向けている人たちです。「人のせいにしたがる」のは自立できていない人間の最大の特徴ですから、きっとそうなのでしょう。

本当にその通りです。

>  私はそれでクレーマー親子と1年半、だらだらと過ごして卒業までこぎつけたことがあります。時々放置して、ときどき気まぐれに抱っこして――イヤイヤ期もいつか終わるように、児童生徒・保護者との関係もいつか終わります。学校のいいところです。
>  高校の場合は、もっと短く済ませることも可能ですよね。

>  その1年半を支えたのは、いま申し上げた「卒業させてしまえば終わる」という意識がひとつ、

いじめられたという主張を取り下げない限り、教室に帰ってきてもらうのは困りますし、教室に入らないとなると単位が取れないため、卒業はできません。
最初は、転学か高卒認定試験に持ち込むつもりでしたが、そうなると「重大ないじめ」案件となるらしく、加害側とされる生徒のダメージが大きすぎるので、やめました。
周りの生徒が嫌な思いをしても、帰ってきてもらうしかないのです。
我が県は、いじめの認知件数が全国に比べて低いそうですが、こんなケースが「重大」とされてしまうなら、そりゃ認知しないよな、と思いました。

>  もうひとつは「最終的には、私の言うことを聞かなかったこの人たちが破滅する」という確信です。

> “これが最後のチャンス。私でなくても普通の感覚をもった普通の人間の忠告を聞いてやり直せば何とかなるものを、この人たちは結局破滅に向かうしかないな”
> ――それが私のいつも携えていた思いです。
>  間違っていますか?

その通りです。
この親子、そのうち破滅します。
でも、高校卒業後です。

>  全体の構造がわかってきたのですから、次回、別の生徒をターゲットにし始めたら早い段階で気づくことができます。その時はその時でまた対応の仕方を考えましょう。

被害側の生徒、おそらく発達障害のせいで、自分の感情というものを明確に理解できません。
今回「嫌なことをされた!!!」と本人は主張していますが、その場にいた生徒で、本人が嫌だという感情を抱いたことを察知した子はいません。
おそらく、本人はその場では「嫌だ」という感情は抱いていなかった、少なくともその感情に本人は気づいていなかったのではないかと思います。
後になって振り返り、あの時の自分はたぶん悔しかった、だの、あの時はたぶん嫌だった、だのと考え、そのうちその感情をその場で抱いていたことにするので、話がややこしくなるのです。

> 放置したり抱っこしたりの1年半はそこからです。

これからが長いですね。
ただ、うちのクラスは女子が6人しかおらず、被害側の1人を除いた5人は、「担任は理解してくれている」と思ってくれているようです。
この子たち(加害側とされる生徒を含む)は「帰ってきたらフツーにする」と言ってくれているので、その「フツー」をフォローするしかなさそうです。
親子がストレスをぶつける先は、私ということにしてもらって。

>  せっかくの成長の機会と有力な支援者を丸ごと放擲してしまってアホな親子です。そんなアホのためにネルさんが心を痛める必要はありません。

やはり、最後まで会わせたくありません。
それが心が傷む最大の要因です。



[589] そんな人のために心傷めることはない

投稿者: SuperT 投稿日:2020年 7月31日(金)16時51分52秒   通報   返信・引用

問題の所在がいまひとつわかりません。

問題の親子が引き下がろうとせず、引き下がらせることもできず、それどころか次のターゲットを狙っているのかもしれない。
それなのに教頭をはじめとする教職員は状況も理解せず、積極的に力を貸すこともなく、担任として何とかしろと圧力をかけてくる――とそんなところですか?

 以前にも訊きましたが、その親子は何が望みなのでしょう?
 相手と直に話をさせろといっても、その先に何を望んでいるのでしょう? 私にはなんとなく本人たちもよく分かっていないのではないかと思うのです。

土下座して謝ってくれればいい、全校集会を開いてその場で全校に説明して謝ってほしい、元のさやに納まって仲良くしてほしい――。
 問い詰めれば何か言うかもしれませんが、どれもこれも現実性の乏しいものです。私の経験ではそうでした。

 特に否定もせずに話して行けば、やがて本人も現実性のない話だと分かってきますが、しばらくすると別の、これまた突き詰めれば現実性のない話を始めるだけです。要するによくわかっていないのです。自分たちが何について怒っているかも。

 私の二人目の孫は1歳を過ぎたばかりの早すぎるイヤイヤ期で、「僕は怒ってるんだ!」を全身で表して泣き叫んだりしますが、何に怒っているのか全く不明です。上の子はそんな様子を見て、どこで覚えてきたのか、「赤ちゃんは泣くのが仕事だからねえ」などといって母親(私の娘)を諭しているみたいですが、それと同じだと思うのです。

 とにかく人生のいろいろがうまくいかない、人間関係ががたつく――そのうまくいかない原因を誰かのせいにしようといつも周囲に目を向けている人たちです。「人のせいにしたがる」のは自立できていない人間の最大の特徴ですから、きっとそうなのでしょう。

 その親子も要するに赤ん坊が駄々をこねているのと同じであって、抱いてあやしてやるか放置して我慢するしかないのです。
 けれど抱けば抱いたで「抱き癖」ついてしまい、すぐに泣いてまた抱かれようとする。放置すれば現代では虐待で、次に何が起こるか分からない。
正解がどこにあるか分からないのですが、泣けばすぐに抱っこしてもらえるといった機械的な癖をつけないように注意して、適切に放置したり気まぐれに抱いたりしてイヤイヤ期が去るのを待つしかないのかもしれません。

 私はそれでクレーマー親子と1年半、だらだらと過ごして卒業までこぎつけたことがあります。時々放置して、ときどき気まぐれに抱っこして――イヤイヤ期もいつか終わるように、児童生徒・保護者との関係もいつか終わります。学校のいいところです。
 高校の場合は、もっと短く済ませることも可能ですよね。

 その1年半を支えたのは、いま申し上げた「卒業させてしまえば終わる」という意識がひとつ、もうひとつは「最終的には、私の言うことを聞かなかったこの人たちが破滅する」という確信です。

 それはそうでしょ?
 通常の人間関係のトラブルを「いじめだ」「いじめだ」といって中絶させ、しかも決定的に断ち切ったり、精神的な暴力で相手をボコボコにしたり、不登校したり、そんなことではロクな子が育ちません。
 高校生にもなって“親の言いなり”なんて、いつか決定的な決裂の時期を迎えるか、逆に子が60歳になっても70歳になっても、一卵性親子みたいにべったり張り付いて二人ボッチで一生を生きていくしかありません。
 今みたいな生き方で、普通の幸せなんて望むべくもない。

“これが最後のチャンス。私でなくても普通の感覚をもった普通の人間の忠告を聞いてやり直せば何とかなるものを、この人たちは結局破滅に向かうしかないな”
――それが私のいつも携えていた思いです。
 間違っていますか?

 辛かったのは毎朝、毎朝、「目を覚まして一番最初に考えることがその親子のこと」という不快さを味わうことでした。
 しかしそれくらいは生きていく上でとうぜん背負わなくてはならない苦痛の一部でしょう。大したことはありません。理由もなく背負わされた苦痛です。神様はきっと私のために帳尻を合わせてくれるはずです。

 さて現実の話をしましょう。
 今の問題が今後も続くようなら、
「多くの先生方にも相談しましたが、これを『イジメ』で追及するのは困難です。証拠がこれしかない状況で強く出れば、逆に名誉棄損で返り討ちにあいかねません。お子さんのために自重してください」
と言い続けます。それ以外はないでしょう。

 全体の構造がわかってきたのですから、次回、別の生徒をターゲットにし始めたら早い段階で気づくことができます。その時はその時でまた対応の仕方を考えましょう。
 ネルさん自身がターゲットになったら?

 むしろチャンスです。教頭先生に、
「今度は私自身が当事者ですので指導できません。間に人を入れてください」
と言って身を引きます。
 高校の良いところは担任を持たない先生がたくさんいることです。社会科に相当する地歴公民の先生だけでも2~3人もいるでしょう? 中学校は1人、小学校は社会科の先生なんかいませんから担任ばかりで、応援にかけつけるということがとても難しいのです。
 高校はその点、人数も多く、集団指導を取り易いはずです。他人の手を借りることに何の問題もありません。

 私の場合は保護者が市教委にクレームを入れて、おかげで市の担当者に間に入ってもらうことができました。
最期はヤクザの手打ちみたいになってシャン、シャン、シャン。
本質的な問題解決は何もはかれなかったのに事態は終了しました。

市教委の担当者からは「気になるかもしれませんが、子どもを勉強であまり追い詰めないように」ととんでもなくお門違いの指導(そういう教師では全くなかったので)を受けましたが、まあ、終わればいいかな? という気持ちで引き下がりました。放置したり抱っこしたりの1年半はそこからです。

 せっかくの成長の機会と有力な支援者を丸ごと放擲してしまってアホな親子です。そんなアホのためにネルさんが心を痛める必要はありません。
 



[588] どうすれば良かったのか

投稿者: ネル 投稿日:2020年 7月31日(金)02時06分52秒   通報   返信・引用

T先生

ここ数日、全く冷静になれません。
1ヶ月以上、被害側の親の対応を教頭から押し付けられ、もうお腹いっぱいです。
教頭の「たのむね」の声を聞くだけで、背筋が凍ります。
「落ち着いて対応を」と言われると、本当に腹が立ちます。
あなたが丸投げし続けて、私が壊れたところで、やっと組織的な対応になったんじゃないの。

もうあの親の顔は見たくありません。
心が拒否します。
担任を降りるわけにはいきません。
こういう時は、病気休暇でも取るしかないのでしょうか。

問題は、解決に向かっているように見えます。
担任(私)が逃げて、担任の代わりに対応した人たちのお陰で解決したように見えます。

でも、1ヶ月以上実質一人で戦ってきたのは私だ。
最初から、被害側の生徒は被害者ではないと見抜いていたのは私だけだ。
クラス担任として、部活顧問として、今回登場した人物のほぼ全ての顔と名前と性格が分かっていたのは、私だけだから、仕方ないのかもしれない。
何とか、加害側にされた生徒を守りたかった。
でも、私にはできなかった。
どうすれば良かったのか。
無力感でいっぱい。

この子(被害側の子)が、入学以来ずっと誰かをターゲットにしてきたことも分かってきた。
ターゲットに逃げられそうになると、被害者面して相手をボコボコにしてきた。
今までは水面下でやってたけど、今回は学校の知ることになった。
次のターゲットは誰だ?
考えると恐ろしい。
表沙汰になると、面白いように先生たちが動いてくれるということにも気づいたようだ。
また、同じようにやる可能性もある。

「次のターゲットを誰にするのか、考えるだけで恐ろしい」と言うと、今回動いてくれた教員の一人に、「攻撃させないようにするのがあなたの役目」と言われてしまった。
できるわけないじゃない。
この子、情緒不安定な母親から攻撃され続けている限り、ずっと誰かを攻撃し続けるよ。
その構造が他の教員たちには見えないのか?

生徒を攻撃するのが無理なら、私を攻撃してくるよ。
生徒がターゲットになるくらいなら、自分がターゲットになる方が100倍マシだと思う。
でも、心が拒否する。



[587] かなりの部分,手放しました。

投稿者: ネル 投稿日:2020年 7月28日(火)00時29分24秒   通報   返信・引用 > No.586[元記事へ]

T先生

連休中はこの問題については一切考えず,ゆっくりさせてもらいました。
申し訳ないのですが,生徒指導部にかなりの部分を丸投げすることで,心のバランスが保てています。

>  結局卒業まで1年間、そんな調子が続いて、何も解決しないまま学校を後にしていきました。

小中学校と高校の決定的な違いは,進級・卒業の条件が存在することだと思います。
1年間保健室や相談室に登校していては,絶対に進級・卒業できないのです。
そして今回の場合,そのタイムリミットは9月にやってきます。
またコロナ休校により,今年は本当に先が読めないのです。
だから皆,焦っています。

> そのつど「いじめ」グループと話をすると、気の短い子は、
> 「もういい! 先生! 何もしてないのにそんなに『イジメ』『イジメ』って言われるならホントにイジメてやる!」
>  なんて言い出す始末、ほんとうに大変でした。

うちの生徒も,似たようなことを言ってました。
さすがに全くこちらと話してくれないのは困りますし,私自身は「白」だと思っているので,「(自分が加害者でないことを証明するためには)事実を淡々と述べていくしかない」「答えに困ったら『親に相談します』と言いなさい」と耳打ちしておきました。
生徒指導部の先生方,(特に後者のセリフについて)面倒なことを仕込んでごめんなさい。
でも,おかげで生徒指導部の聞き取りに素直に応じ,自分の考えを理路整然と述べて帰ってきました。
生徒指導部の先生方の心証も「白」です。
もちろん「親に相談します」は発動されずに終わりました。

> >おそらくその子は,担任(私)も「いじめ」だと思っていると思います。
>  それでもその子に訊いてみる価値はあるかもしれません。何か、こちらの知らないことを知っているかもしれないからです。

部活の顧問に聞いてもらいました。
身の毛もよだつ事実が出てきました。
ここには書けません。
もちろん,「いじめ」の事実ではありません。
この子の保護者に言っておくべきだと思うのですが,さてどうやって伝えるか,思案中です。
管理職と相談します。

事態は進展していませんが,他の先生方が肩代わりしてくれたおかげで,いろいろと楽になりました。
クラス経営にも目が向くようになり,クラスにも少しは活気が戻ってきました。
何だかんだで,クラスの他の生徒たちにも負担をかけてしまっています。
少し距離を保ちながら,切り込めるタイミングを狙っていきたいと思います。
どうせ,タイムリミットはもうすぐですから。



[586] 確かに、できることは少なそうですね。

投稿者: SuperT 投稿日:2020年 7月21日(火)17時11分9秒   通報   返信・引用

 クラスの中に8人くらいのちょっと悪い女の子のグループがあって、年じゅう授業をサボったり仲間外しをしたりしていました。
そのうちNo2の子に仲間外しの順番が回ってきて、そこから大騒ぎになったのです。保護者が原因を探ると「クラスの集団いじめ」だそうで、全員から無視されているというのです。もっともNo2の子は8人以外をまったく相手にしていませんから、“グループから離れたら独りぼっち”というのもまんざら嘘でもなかったのです。

私がその学校に赴任したのはNo2が来なくなって3か月目くらいでしたので、話はずいぶん煮詰まっていて、父親は「すべての元凶はNo1だからアイツを転校させろ」みたいな話になっていて、手の打ちようがありませんでした。
とりあえず教師を一人用意して相談室登校ということにしたのですが、どうやりくりしても他の7人と出会ってしまう――部屋にじっとしていればいいのにフラフラ出たがるから、しばしば出会う。そうなると視線を避ければ「無視した」、無視したと言われないように注意していると「睨んだ」、相談室に籠らせても「(7人のうちの)誰かが壁を蹴って行った」と、その都度親に言いつけて、親は何らかの指導を要求します。
そのつど「いじめ」グループと話をすると、気の短い子は、
「もういい! 先生! 何もしてないのにそんなに『イジメ』『イジメ』って言われるならホントにイジメてやる!」
 なんて言い出す始末、ほんとうに大変でした。

No1に訊くと、
「別にハブったわけじゃなくて、私があの子を嫌いになっただけ。私が嫌いになったら他のみんなも嫌いになっちゃった」
(そりゃそうだろ、ボスに従わなきゃ何されるか分からないんだから)
 No5くらいに子に訊くと、
「私だって一年前にはハブられた。でも親になんか言わないで何カ月も頑張って、やっと元の戻してもらった。その間、No2ちゃんは私のこと助けるどころか、一番冷たくしたんだよ。それが何で自分だと親に言いつけるの、私に助けを求めるの、自分でがんばりゃいいじゃない」
(それは何となくわかる)

 2カ月経っても3カ月経っても何も改善せず、間に入って困った市教委は公立なのに転校の道まで用意して、さあ今日から新しい学校に、という朝になって、
「やっぱり転校はイヤ」

 生徒指導の担当者は粋なことを言います。
「No1は仲間の鼻面をつかんで引き回し、No2は大人の鼻面を取って引き回す。どっちも似たものどうしだァ」
 結局卒業まで1年間、そんな調子が続いて、何も解決しないまま学校を後にしていきました。

 私が最終的に思ったのは、No2の親はNo1がいなくなっていじめがなくなれば解決だと考えていたようですが、No2本人にとっての完全な解決は「現状回復」ではなかったのかということです。
 再び8人組の結束を固めて自分はNo2としてNo1を支え仲良く君臨する、それ以外の解決は、その子にはなかったのではないかということです。
 もちろんそれはほぼ100%不可能なことです。No2にNo5のような覚悟と胆力があれば別でしょうが、しょせんわがままで身勝手で弱いNo1同種の人間でした。

 さて、この話、実は小学校6年生の話なのです。人間は案外成長しないもので、中学校の話としても高校の話としても、あるいはちょっとアレンジして大人の話としても通用しそうです。

 ネルさんの場合の被害の子は、いったい何が望みなのでしょう? 向かって行こうとする先は、保護者と同じなのでしょうか?
 本人に聞いてみるといいのかもしれません。
「あなた、どうしたいの? そしてそれって可能?」
ということです。たぶん自分だってわかっていません。しかし考えさせることで何か出てくるかもしれません。

 もしかしたらこの件に関するネルさんの仕事は、
・「相手と話し合いをさせろ」という要求をうまく処理して(相手がどう出てくるか分からない、勝っても自体が良い方向へ動く気がしない等々を示して)、取り下げさせること、
・「学年会で(職員会で、あるいは生徒指導委員会で)他の先生のご意見を聞いてみたが、このレベルでいじめとしての対応はできないとのことだった。自分の子どもが“いじめの加害者”に認定されてしまうこと思えば、相手の親も必死だ。下手をすると名誉棄損になりかねない」といった話にして、どこかでいじめ問題を切り離す。
 とりあえず、そこまでかもしれません。
 局面が変わったら、またそこで考えましょう。



>勝算があります。一方的にしゃべって,相手を唖然とさせて帰ればいいのです。
 それで済むなら、学校帰りを待ち伏せてやってもよさそうなものです。また実際にやったところで、それで学校に来られるはずもなく、加害者とされる方も何らかの方策をねってくるでしょう。

>おそらくその子は,担任(私)も「いじめ」だと思っていると思います。
 それでもその子に訊いてみる価値はあるかもしれません。何か、こちらの知らないことを知っているかもしれないからです。




[585] なるほど

投稿者: ネル 投稿日:2020年 7月20日(月)23時08分57秒   通報   返信・引用 > No.584[元記事へ]

T先生

>  ひとつは、その生徒がこの事態を“いじめ”だと信じているという点です。

おそらくその子は,担任(私)も「いじめ」だと思っていると思います。
少なくとも,私がこのことを大問題だとし,その点で本気で心配している,と信じているはずです。
その子が「今日は先生がAに事情を聞いてくれてたよ」と話したことが,曲がって伝わるのです。
もし伝えるのをやめろと言ったら,それも曲がって伝わるので,放置しておくしかありません。
この子については,別の教員に話を聞いてもらうことにしました。

加害側とされる生徒,普段から清廉潔白ではありません。
わがままですし,押しが強いですし,好き嫌いが激しいですし,嫌な思いをさせられた子はたくさんいると思います。
今回は,その押しの強さが災いしました。
「あの子ならやりかねない」という先入観が,異性の生徒たちや他クラスの生徒たちにはあるように思います。

一方の被害側とされる生徒,一見すると清廉潔白な感じに見えますが,かなりわがままです。
裏でかなり他の子の悪口を言ってきたらしく,「お互い様でしょ」と言われることもあります。
ただ,やはり清廉潔白に見えるので,被害を主張してしまえば,もっともらしく見えてしまいます。

少なくとも,学校に来られなくなる直前まで,2人は仲良しでした。
休む2日前に家庭の問題を担任(私)に相談したこと,たくさん話を聞いてもらえて嬉しかったことなど,加害側とされる生徒は知っています。
そして,被害側とされる生徒が主張する「いじめ」は,それより1か月も前のことです。
本当にいじめなら,その間,あなたは何をしていたの?と首をかしげてしまいます。

私には,被害側とされる生徒の抱えている問題が重すぎて,逃げ出してしまった友人に失望し,過去に受けたちょっと嫌だったことを,「いじめ」としてでっち上げているように見えます。
被害側とされる生徒の深い悲しみが伝わってきますが,そんな重い問題に今まで付き合ってくれた友人には感謝すべきでしょう。
普通の高校生には,そんな重い問題を理解することは不可能です。
一方で,被害側とされる生徒を救い出してあげたいけれど,全く手が出せず,歯がゆさも感じています。
(関係機関への通告なるもの,初めて経験しました。)


「決して良い手だと思えない解決法」は,その通りです。
ただ,被害側とされる生徒には勝算があります。
一方的にしゃべって,相手を唖然とさせて帰ればいいのです。
相手は(わがままでも)バカではありませんから,教室の中で仲間外れにするようなことはしないと分かっています。
そして,その手の内は知られていますから,相手は絶対に同じ土俵には上がりません。

私に打てる手は残されていないように感じます。
あとは,どこかにほころびが見えるのを,逃さずやっていくしかないように思えます。



[584] 正攻法で行かない。

投稿者: SuperT 投稿日:2020年 7月20日(月)18時47分3秒   通報   返信・引用

 そういう言い方はできないにしても、
「これはいじめと言えるようなものではありません。トラブルには違いありませんが、子どもが成長していく過程で当然必要な、行き違い、あるいはすれ違いです。しかしこの程度のことを“いじめ”と意識するのは、お子さんが相当神経質になっているということです。ですからそれについて、一緒に考えていきましょう」
という内容を、時間をかけて、まるで親自身が自分で考えたような形にして納得させる――、それがおそらく正攻法でしょう。
しかしお話を聞いていると、とんでもなくハードルが高く、どんなに遠回りをしても、そんな結論には達しないような気もしてきました。母親に機が熟さないと、うまくいかないこともあるのです。

正攻法がダメだとしたら、あとはそれ以外の方法でアプローチするしかありません。その「それ以外のすべての方法」が「からめ手」です。
私の友人にいやな奴がいて、どんなに複雑で深刻な問題でも、「まあ、まあ、まあ。そう言わず、まずは飲めよ」みたいな方法で解決を図ろうとしたりします。私は本質的な解決が好きな理屈っぽい性質ですので、彼のやり方にはしばしばかなりイライラしたのですが、もしかしたら問題解決の勝率で言えば、彼の方が圧倒的に上なのかもしれません。

ネルさんが「まあ、まあ、まあ」といった性格だとはとても思えないのですが、究極のからめ手として紹介しておきます。

さて、今回のお話の中でとても気になったことひとつありました。
>いじめの存在を信じて疑わない、同じクラスの異性の生徒からの情報
という部分です。
 学校を休んでいる生徒に教室での様子をいちいちチクっている同級生がいる、ということですか?
 もしそうだとしたら二重に気になるところです。

 ひとつは、その生徒がこの事態を“いじめ”だと信じているという点です。
ある程度状況を知っている子の中に、一人でも本気でいじめだと思っている子がいたとしたら要注意です。 彼らはときにとんでもないネットワークを持っていて、教師の全く知らない情報を握っていたりします。また、そうした情報の積み重ねで、私たちとは全く異なる視点から問題を見ていることもあるからです。

 私はクラスの中で最も非行から距離の遠い子で、チョイ悪グループとはほとんど関係がないと思っていた優秀な子が、グループの悪事を片っぱし知っていて呆れたことがあります。彼女自身は一切かかわっていなかったのですが、情報がバンバン入ってくるような人間関係の特殊な位置にいたらしいのです。子どもの情報網おそるべしです。

おなじように、その“いじめの存在を信じて疑わない”子が特別な情報を握っているとしたら、これは私たちの眼鏡違いで、もっといじめに寄せて事態を考えなくてはならないのかもしれません。その子から話は聞き尽くしましたか?

もうひとつは、その子から問題の親子へは情報がツーツーなのですよね。
ネルさんと問題の生徒、ネルさんとその母親、どちらをとってもさほど意思疎通がうまくいっていないのに、あちらの方は瞬時に流れていくわけですよね。だったらそちらのルートで呼びかけてみたらどうでしょう。
もちろんそんなことは依頼できませんから、こちらが伝えたいことをその子が見ているところで口にするとか、敢えて手の内を見せるとかいったやり方で通すのです。

教師として保護者の信頼を勝ち取ることは容易ではありませんが、子どもが一言「今度の担任の先生、すごい!」と言えばそれでイチコロです。同様に、クラスの告げ口君が「先生、オマエのことをすごく気にかけて頑張っているぞ」とひとことLINEで送ってくれれば、親子二人を同時に撃ち落とすことも簡単でしょう。

教師がどんなに一生懸命頑張っているかをアピールしても、どうせ自分に都合いいように話しているのだといった感じで通らないものが、裏から回ってきた情報は簡単に信じてしまいます。人間には「陰で話すことこそ本音」という思い込みがありますから、本当に伝えたいことは陰から回した方がいい場合も多いのです。

とりあえず、その子に、なぜいじめだと信じているのか重ねて熱心に聞いてみたらどうでしょう。
もしかしたらこちらの不備に気づかされるのかもしれません。
そうでなくても、熱心にこの問題に取り組んでいる様子は先方に伝わるかもしれません。
あるいはネルさんとの話し合いの中で、その子が「これはいじめではないな」と気づけば、その気づきが俊速で問題の母子を動かすかもしれません。

調子のいいことを言いましたが、実際には一番最初の、「こちらが情報を握っていないだけで、もしかしたらほんとうにいじめかもしれない」ということの方が心配です。


前々回の書き込みの後半、私が読み落として、ネルさんが削除した部分ですが、ごみ箱のメールで確認できました。

今回のお話の中にあった、
>決して良い手だと思えない解決法
というのは「本人同士で話し合う」というやり方でしょうか?

だとしたら絶対に不可です。
子ども同士が話し合えば正しい結論に至るというのは素人の度し難い幻想です。マスメディアでもしょっちゅう見受けられますよね。

でも例えばいじめ問題なんか、不用意に学級会にかければあっという間に人民裁判です。助けるはずの子がズタズタにされかねません。

母親としてはこちらに正義があるから話し合えば必ずこちらに有利に働くと思っているのでしょうが、私たちは子どもについてその千分の一もわかっていないのです。相手がどんな隠し玉を持っているか分かりません。
それに子どもでなくても、人間は過ちをそう簡単に認めるものではありません。

伝説のテレビドラマ「3年B組金八先生」で、もちろん金八も偉かったですが、さらに偉かったのは生徒たちです。B組の生徒はよく話を聞く。そして話を聞いて納得すれば、すぐに反省して態度を改められる。しかし普通の人間はそうではありません。「わかっちゃいるけどやめられない」のが人間ですし、追いつめられると謝るより先に噛むのが弱い鼠です。

「良い結果も想像できないわけではありません。しかし子ども同士で話し合いをさせる以上は、お子さんがボロボロになって帰ってくることも覚悟して下さい。話し合いには勢いの問題もありますし、ああ言えばこう言うといった世界もあります。本当はそんな気もないのにポンポン言葉が出て、思ってもいないことも、言ってはいけないことも口にでて、取り返しがつかなくなる時もあります。
その時になって大人が出て行っても遅いのです。こちらが出て行けば当然むこうも親が出てくる、親は親ですから自分の子どもは可愛い、全力で守りたい。“いじめの犯人”などという烙印を押されたら一生この街で暮らせなくなりますから、どんな理不尽な手をつかっても阻止したくなる、それが親心です。お母さんも立場が逆だったら全力で守るでしょう?
だからやると決めたら、こちらの完全勝利となる可能性やうまく仲直りする可能性とともに、お子さんが2度と立ち直れないほどボロボロになる可能性も覚悟したうえで送り出さなくてはならないのです。
私はやめた方がいいと思う」
そんな言い方で引き下がってもらえると思うのですがいかがでしょう?
これは昔、私自身が使ったテです。

*いまとつぜん思いついたのですが、「いじめだ」「いじめだ」と騒いでいるそのお母さん、そしてその子どもも、本音のところは「昔と同じように仲良くしてほしい」といった程度の話、という可能性はありません? それだってかなり難しい話ですが。



[583] Re: 次は「からめ手」かな?

投稿者: ネル 投稿日:2020年 7月19日(日)22時10分2秒   通報   返信・引用   編集済

T先生

いろいろ、考えていなかったところに焦点を当てていただき、ありがとうございます。

丸子実業の名前は知っていましたが、中身は知りませんでした。
紹介されたWikipediaの記事を読むと、よく似た人物であるように感じます。
私の考えにはありませんでしたが、確かに本人が家にいた方が、母親は楽だと思われます。

この生徒の家庭が大変なのは分かっていたので、日頃から気にかけていました。
母親から電話があったときには必ず、子どもだけでなくお母さん自身の大変さにも言及して、何かあったら相談してほしい旨を伝えていました。
だから、不信感と言っても、この程度で済んでいるのかもしれません。

ただこちらの行動は、その日のうちに全部、被害を主張している生徒の側に知られてしまっています。
いじめの存在を信じて疑わない、同じクラスの異性の生徒からの情報です。
相手の保護者と連絡を取ってから動きたいこともあるし、そもそも加害の事実というものはほぼないに等しいので、具体的なことを聞かれても答えられるとは限りません。

「からめ手」というのがどういうものか想像がつきません。
私としてはまず、加害側とされる生徒と話すのを、他の教員に代わってもらおうと考えています。
これなら、手の内を聞かれても「まだ報告を受けていません」と言えます。
あとは、本人が主張する解決法(おそらく母親が,これしかないと主張している方法)が受け入れられないことを、どうやって諦めてもらうかです。
私は言葉を尽くしました。
案外、私以外の人が言えば通るかもしれません。
それから、本人が家にいる方が母親は楽ですから、出席日数を盾に、出席を積極的に働きかけるべきだと思えてきました。



[582] 次は「からめ手」かな?

投稿者: SuperT 投稿日:2020年 7月19日(日)15時22分5秒   通報   返信・引用

ネル様
ご苦労様です。

前回のあなたの書き込みについて、通知のあったメールの本文では読んだのですが、実際にこの掲示板に来て読むことを怠りました。メール上では後半があるように思えなかったので、改めて返事を書くときに見ればいいと思ったのですが、削除された部分に大切なことが書いてあったのなら、申し訳ありません。

さて、さらにこじれててこずっておられるとのこと、何となく想像がつきます。
私のいた義務教育の場では何かと親の出てくることも多く、“親”は回避できない因子でしたから最初から計算に入れるふうがありました。また問題解決にあたって、本人にアプローチするよりは家族療法的に親に行動変容を促す方が早いと考えられる場合もあって、“親”は常に重要な要素だったという気がします。どっちみち“親”からは逃れられないのだから積極的に行きましょうといった感じだったのかもしれません。
ネルさんの今回のお話に似た事例も、たくさんけいけんしています。

このような場合、学校が本人をどのように説得し、納得させようとも、先生が家庭訪問から帰ったあとで母親から猛烈な巻き返しがあればすべて元の木阿弥になってしまいます。親は別に子どもを煽っているのではないのですが、自らの不安を口にし続けると、結果的に煽ることと同じになってしまいます。

この関係は母親の不安がある限り延々と続くはずみ車のようなもので、長く続くと生徒本人が十二分に理解して納得しても、親の手前、振り上げた拳を下ろすこともできなくなってしまいます。親に合わせて「いじめだ」「いじめだ」と言っている間は親子間の葛藤も見えなくなりますし、むしろ今まで中で一番親子が仲良く、結束のできている蜜月みたいな雰囲気になってくることもあります。

そんな親子に「いじめはない」とか「いじめとは言い切れない」といった情報をいくら持っていても埒が開きません。そうしたやり方自体が、「先生は味方になってくれない」「先生は相手の肩ばかりをもっている」という感情を刺激して、事態は悪化するばかりです。
そうこうしているうちに孤立した(と思っている)親が学校や周囲にキバを向き始め、むしろ加害者となっていく場合もあります。

こうした事件の有名な例として、
丸子実業高校バレーボール部員自殺事件
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%B8%E5%AD%90%E5%AE%9F%E6%A5%AD%E9%AB%98%E6%A0%A1%E3%83%90%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%83%AB%E9%83%A8%E5%93%A1%E8%87%AA%E6%AE%BA%E4%BA%8B%E4%BB%B6

福岡市「教師によるいじめ」事件https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%8F%E5%B2%A1%E5%B8%82%E3%80%8C%E6%95%99%E5%B8%AB%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B%E3%81%84%E3%81%98%E3%82%81%E3%80%8D%E4%BA%8B%E4%BB%B6
がありますが、「窮鼠猫を噛む」の窮鼠になりやすい人格というのはいくらでもあります。注意して対処するしかありません。

前回、私は「傾聴と共感と低姿勢」と申し上げました。しかし実際には共感できない場合も多く、むしろ腹が立ったりイライラすることの方が多いくらいです。しかしそれでも、共感したフリくらいはし続けるしかありません。
これは理屈の問題ではないのです。母親が「先生は私たちのために頑張ってくれている」と信じている間は、事態は悪い方向へは行きません。その間に子どもの方が変化していけば、やがてその子が親を変えてくれます。
先ほど蜜月と言いましたが、もちろんそれは本物の和解ではなく、子は親に合わせているだけですから、いつでも破綻の糸口はあります。
子が親を振り切って登校するようになれば、それで一応、問題は解決します。親はそれ以上なにも言って来ないでしょう。
登校しないまでも、原因はいじめではないと子が言えば、それも一歩前進でしょう。
逆に親の方が「先生、これはやはりいじめではないですよね」と言い出したら、そこからも発展の可能性があります。

いずれにしろ、まだこの問題は主観的な「いじめ問題」のレベルに留まっているのです。大変ですが、時間を掛けましょう。

母親に「先生に不信感を持っている」と言われても、母親に子どもが操られていく様子を見せられても、あまり苦にする必要はありません。言葉として出てくるもの、表面に見えているものとは別な形で、ものごとは動いているのです。信念に従って行動しましょう。

教師も親も、子どもに健やかな成長を果たしてもらいたいという点では利害が一致しているのです。よりよく生きたいという意味では、子どもとの利害も一致しています。
うまくいかないのは、その間に誤解があったり、理不尽な人間社会を“理”によって“尽”くそうとする理性があるためです。
情の問題はからめ手で解決するのがむしろ都合がいいのです。
(と言いながら、私自身はとても苦手でした)



[581] こじれてきました

投稿者: ネル 投稿日:2020年 7月19日(日)05時55分17秒   通報   返信・引用

T先生

話がこじれてきました。
最初から、管理職を入れて対応してきましたが、教頭が生徒指導に疎かったこともあり、どんどん悪化しました。
私の精神も崩壊寸前でした。

ただ、話が大きくなった分、いろいろデータが集めやすくなり、いろんなことが分かってきました。

まず「いじめ」の部分ですが、証拠として提出されたものを見ても、全く「いじめ」には見えません。
これで、相手に「私は嫌だったんだから!」と主張するのは無理です。
むしろ、コロナ休校でみんなと顔を合わせてなかったことで、勝手に一人で誤解を深めていったようにしか見えません。

それから、母子関係です。
やっと本人に会えて、いろいろ話をしました。
話せばある程度わかる子です。
しかし、母親が登場すると一変しました。
母親に子どもが操られていく様子を見るのは初めてで、背筋が凍る思いがしました。
決して良い手だと思えない解決法を主張し、こちらが他に誘導しても頑として譲らないのも、このお母さんの間違った成功体験によるものなのかもしれません。

生徒が「いじめと捉えればいじめ」という理不尽な定義がなければ、取るに足らない主張です。
でも、これが重くのしかかってきます。

(前回の投稿は、後半を一部カットしました。)



[580] Re: ネル様、傾聴と共感と低姿勢です

投稿者: ネル 投稿日:2020年 7月 9日(木)06時02分25秒   通報   返信・引用   編集済

ありがとうございます。

T先生からの返信を見て、落ち着くことができました。
とりあえず今は、担任が原因だとは言わないので、まだマシなのかもしれません。
「先生に対して不信感を持っている」と母親は言ってますが。



[579] ネル様、傾聴と共感と低姿勢です

投稿者: SuperT 投稿日:2020年 7月 5日(日)16時22分3秒   通報   返信・引用

子どもが学校に行かないと言い出すとたいていの親は理由を問い詰めます。そして多くの子どもが、「いじめ」か「担任の横暴」のどちらかを選択します。

「面倒くさい」とか「人づきあいが嫌だ」とか「勉強する意味が分からない」とか言うと親からは説得か叱責しか返ってこないからです。「いじめ」か「担任の横暴」を訴えるととりあえずこちらが被害者ですから親も味方になってくれます。

ですからその二つが訴えられた時、それが「ある」か「ない」かを明らかいするところから話が始まります。

こうした訴えに対する基本的態度は「傾聴と共感、低姿勢」です。かなり面倒ですが、いじめ問題がこじれた場合の面倒くささに比べたらはるかに楽ですから、初期段階で頑張るしかありません。
また「いじめ問題」は舐めてかかると陰に本物のいじめが潜んでいたり、客観的事実よりも主観的事実の方が重要な場合だってありますから、慎重に扱うしかありません。

LINEのやり取りが原因なら、そこの何が問題なのか丁寧に聞いていきます。そして他にも気になっていることがあれば掘り下げていきます。あくまでも生徒の側に立って話をします。傾聴と共感ですから。

できればその様子を保護者にも見てもらい、客観的な判断は親にしてもらいます。
親を横に置いて話し合うというのは小中学生が対象だと難しくはないのですが、高校生の場合はどうでしょう? しかし親のいないところで聞き取りをして、あとで「これはいじめだとは思えません」などと言えば、親はすぐに戦闘モードに入ってしまいます。子どもを守るのは親の仕事で権利なのですから。

親も一緒になって考えてもらい、親が「先生、これはいじめじゃないよね」と言い出したら問題のステージを「不登校」に移します。移したところで解決策が出てくるわけではありませんが、「いじめ」の緊急性、切迫感に比べたら、よほど安全と言えます。

もちろん本物のいじめ問題が浮上してきたら緊急に対処します。一人では対応しきれないのでできるだけ早く同僚や管理職と相談しなくてはなりません。「いじめ」の線が消えると「担任の横暴」に話をうつす場合もあるので、その時は別の担当者を立てないと問題が泥沼化します。「横暴な担任」が担当していたのでは話が進みません。

その二つの線が消えたら、あとは通常の不登校の問題となります(だから問題解決というわけではありませんが)。

いずれにしろ、デリケートな問題ですから、丁寧に扱いましょう。
「いじめ」はじっくりと腰を据えて取り組むテーマではありません。短時間に猛烈なエネルギーをかぶせて、一気に解決にもっていくのが重要なポイントだと私は思っています。
傾聴と共感と低姿勢で全力・短時間。

こちらが心折れないように注意しながら、頑張りましょう。



[578] いじめ案件の対応を間違えたのか

投稿者: ネル 投稿日:2020年 7月 5日(日)07時46分58秒   通報   返信・引用   編集済

T先生

今まで全くいじめと関わってこなかった私ですが、いきなりクラスで吹き出してきました。

はじめはちょっとした感情のねじれだと思っていたのですが、あれよあれよという間に何日も学校に来られなくなりました。
これまで本人は一度も触れていませんが、LINEトラブル(自爆)の翌日から来てないので、それが原因だと思っています。
やってしまった、と子どもが学校に行くのが少ししんどくなったところに、母親が喚くことでさらに行けなくなっただけだと思っていました。

数日経ったところで、母親からクラスメイトたちとのLINEを見せてもらったけど、なぜそれで嫌な思いに至ったのかさっぱり分からず。
嫌がらせというには根拠が薄いと感じました。
もちろん、当該のトラブルの部分には触れられず。
その時はいじめだという訴えではなかったと思うのですが。
来られない期間が長くなってくると、母親がだんだんヒートアップしてきました。

この母親、発達障害ありだとにらんでいたので、親子共々マークしてはいましたが。
なんだかきついです。



[577] ネル様

投稿者: SuperT 投稿日:2020年 4月17日(金)13時59分30秒   通報   返信・引用

>似たような者が集まることで、生き方のヒントが得られていればいいですね。
――考えていませんでした。そしてほっとしました。
 そうですね

 以前、児童自立支援施設の係官と話した時、
「男の子はここや鑑別所でできた人間関係を使って、触法ギリギリのところで生きていけるからいいんですが・・・」
という話を聞いたことがありますが、それと似た感じかもしれません。
 偏差値による輪切りというのも、案外悪いものではないのかもしれません。勉強の苦手な者が秀才に囲まれていたり、その逆であったりしても、生き生きといきていくわけにはいきせんものね。

 ちなみに上の「男の子は・・・いいんですが」の続きは「女の子は結局ダメな場合が多いのです」です。
 もともと不良少年は男の子の独占地帯みたいなもので、男女で比較すれば男の子が圧倒的に悪くなりやすい。しかし裏を返せば、そんな女人禁制みたいな不良社会へ入ってくる女の子たちは、相当に厄介な環境や境遇から、最後の最後にやってくるので立ち直りが難しい、といった意味でした。
 何かわかるような気がします。

 主体的な学びとは「自ら答えをひねり出せるか」。
 そう考えると私は大学生の時以来、ずっとそんな学習ができているような気がします。特に今がそうです。
 いい人生だったということですね。




[576] Re: 気持ちの良い、すてきな話ですね。

投稿者: ネル 投稿日:2020年 4月12日(日)01時24分25秒   通報   返信・引用

SuperT先生

新学期のバタバタで遅く帰ってきた私が玄関のドアを開けた途端、「お母さん!学校楽しい!!」と息子が満面の笑みで出迎えてくれました。
本当に楽しくて仕方ないのでしょう。
広い敷地内を駆け回って遊んでいるようです。
この学校を選んで良かったと思えます。

学校で買わされた資料集も、興味津々で見ています。
数学の資料集は、学校で使う前からボロボロになってます。(数学に資料集があることが驚きでしたが。)
こういう人にとっては、勉強は苦じゃないのだろうと思います。
そのくせ、人の思惑を考えるのはとても苦手ですから、そのアンバランスさは、多くの人たちには信じられないだろうと思います。
県内随一の進学校なので、外野からは偏見も含めていろいろ言われることが予想されますが、ここまで来たら、振り切れてしまうのもいいと思えます。

ICTなんてお構いなしの学校で、休校になったらどうなるのかと思いましたが、そこは私学、教育委員会のご意向を気にしなくていいので、民間企業のサービスを利用して、着々と準備を進めているようです。
遠隔授業は厳しいと思いますが、学校がオンラインで課題を出し、オンラインで質問できるくらいの環境はできているようです。
最初の授業で、やり方を教えてもらったそうです。
これくらいなら、ちょっと詳しい教員がいれば、あとの教員はその後に付いて行けばいいので、すぐにできそうです。

一方うちの高校では、休校に備えて、大量の課題を印刷しろというお達しが。
それを自宅でやったことで、その単元を終わらせたことにするらしいです。
分からないところの質問は、学校に電話するしかないそうです。
いやいや、私の担当教科は入試問題が解けるレベルが求められているんですが。
家にお金がないから、公立高校の授業のみで勉強しようと、必死で頑張っている子もいるんですから。
貧乏クラスタから抜け出そうと必死なんだから。(かつての私のように。)
そういう子もスマホは持っているから、何とかしてやりたいのですが。
でも、教育委員会が首を縦に振らない限り、民間企業が用意しているサービスを利用することはできません。
そもそも、教育委員会の人は民間企業のサービスを理解できないので、首を縦に振れません。
休校にならないことを祈るのみです。

ただ、医療崩壊を防ぐためにも、近い将来、再び休校になるでしょう。
それを見越した話をしたとき、生徒は「みんな平等に休校だから大丈夫。東京とかはもう休校だし、自分たちの方が有利」と言いました。
「いや、平等なんかじゃない。みんなは不利な立場だよ」と返しましたが、ボカした言い方しかできませんでした。
中高一貫の私立なら、うちの生徒と同じくらいの出来の学校でも、すでに高校の内容を終えています。
あとは問題演習ですから、何とでもなるのです。
ところがうちの生徒は、受験で使う科目のうち2つを、この1年でやります。
そのうちの1つを私が持っています。
昨年1年間は、私のところに通い詰めた生徒たちが、ちょっとした疑問でも私にぶつけて、何とか受験で使える状態に持って行き、地元国立大学に入りました。
彼らは、YouTubeに落ちている解説動画も見ているのですが、分かった気になるだけで、いざ問題を解こうとすると分からないのです。
今年度はどうなるのか、本当に未知数です。
公立高校ではダメだ、とならないように、何とか頑張りたいと思います。


それにしても、「主体的な学び」や「主体性」って、本当にさまざまなのだな、と思います。
私が公立に帰ってきて愕然としたのは、

>「嫌なこと、つまらないことでも、自分から進んで学ぶ」

ことが「主体的な学び」とされていたことでした。
いかに勉強を「嫌なこと」ではなく、「つまらないこと」でもないというふうに見せかけるかを、皆さんグループ学習を取り入れるなどして、熱心に研究されています。
そんなの無理なのは、T先生のおっしゃる通りです。

「(生徒が)自ら進んで学ぶ」は「主体的な学び」が出てくる以前から、教師たちの願望の中にありましたから、それと「主体的な学び」が結びつきやすいのは、考えてみれば当たり前のことです。
でも私は、そんなものは目指していません。
「主体的な学び」は、PISAの成績が気になった人たちが持ち出してきたものですから、自ら進んで学ぶかどうかは、あまり関係ないはずです。(少しはあるけど。)
それより「自ら答えをひねり出せるか」だと思っています。
学力学習状況調査がわざわざ無回答を集計するのは、そのためですよね。
PISAなんて、という気持ちも大いに持っていますが、少なくとも「嫌なこと、つまらないこと」をごまかして無理やり「主体的」に見せるよりは、自ら答えをひねり出させるほうが、生徒には力が付くと思います。
その上で、模範解答との乖離の理由を考えさせたり、(優秀な生徒には)模範解答の限界を考えさせたり、自分の解答の方が素晴らしいことを評価させたりする方が有益だと感じます。
面白いかどうかは、別次元の話です。

文化祭や体育祭などでは、生徒たちは必死で答えをひねり出してきます。
入試(一般入試)に向けては、この解き方でいいのか、他に良い方法はないのか、と必死で答えをひねり出してきます。
私から見ると、我が校で「主体的な学び」が成立しているのは、授業以外の部分です。

元々、「アクティブ・ラーニング」の動きは、高等教育から始まったと聞いています。
それを、初等中等教育に持ってくるのには、本来は無理があります。
地元でトップクラスの私立中1よりも、底辺校の高校生の方が、ものを考える力はあります。
それが発達というものでしょう。
でも、PISAのスコアが気になっていた人たちにとっては魔法の言葉だったに違いありません。
大変な迷惑です。

>  あ、息子さん、中学校合格とご入学、おめでとうございます。

ありがとうございます。
勉強ができることで、うちの子は居場所を確保できているので、それを保つべく親はしっかり働いて、稼ぎます。

>  それにつけても思い出すのはかつての教え子の中にいた「三つとも全部ダメ」という子たち、今はどんなふうに生きているのでしょう?
>  連絡の取りようもない子ですが、やはり考え込んでしまいます。

高校は偏差値輪切りでできているところが大半ですから、似たような者が集まることで、生き方のヒントが得られていればいいですね。
私は、不登校気味の生徒の将来設計図を、どこまでどう描いていくかにも、ちょっとばかり悩んでいます。
本人が手詰まりにならない設計図を、なるべく描いて卒業させられれば、最高なのですが。



[575] 気持ちの良い、すてきな話ですね。

投稿者: SuperT 投稿日:2020年 4月 8日(水)12時31分21秒   通報   返信・引用

行間からほっとした感じとゆとりが匂い立ってくるような文章です。読む身にも気持ちのいいものです。新型コロナの件で心が揺れているので、ちょっと一服。
ありがとうございます。

さて、
>「うちは今まで通り変わりません。『主体的な学び』も『ICT』も関係ありません」
そこまで言い切るのはよほど強い信念をもってのことなのでしょうね。

私はそもそも、学校が3年やそこらで「主体的な学び」を身に着けさせられるか疑問に思っています。
だって「主体的な学び」と言っても自ら進んで大麻草の育て方を学んだり、万引きの研究と実践をされても困るわけでしょう。実は書いていないだけで、最初から「善きことを」とか「学校の勉強を」とか言った条件が付いているわけです。
そして「善いこと」と「勉強」は、たいていは面白くないと相場が決まっています。言い換えれば「主体的な学びのできる子を育てる」というのは「嫌なこと、つまらないことでも、自分から進んで学ぶ子を育てる」ということで、学校には荷が重すぎます。

私が若く、人生に迷っていたときに一番有効だった助言は、
「働け、働け、あくまで働け」(ビスマルク)
でした。
 二の四の言わずとにかく働いていればその中から見えてくるものがある、という意味でしょうが、実際その通りでした。

 私にとって大学以降の勉強はずっと楽しいものでした。
 しかしそれらも大学受験までのクソ面白くもない学習の中からようやく立ち上がってきたものです。小中学校で「主体的」「主体的」と叫ぶのもいかがなものか、という気持ちはいつもあります。

 あ、息子さん、中学校合格とご入学、おめでとうございます。
 しかし勉強ができるというのはかなり安心できますね。知・徳・体と言いますが、勉強と人間関係、そしてスポーツのどれかに秀でた才能を持っていれば何とか生きていけます。これからもいろいろあろうかと思いますが、“最後は何とかなる”と自信をもってお育てください。

 それにつけても思い出すのはかつての教え子の中にいた「三つとも全部ダメ」という子たち、今はどんなふうに生きているのでしょう?
 連絡の取りようもない子ですが、やはり考え込んでしまいます。






[574] いよいよ入学式です。

投稿者: ネル 投稿日:2020年 4月 6日(月)06時33分0秒   通報   返信・引用

ご無沙汰しています。

ご報告したいことはたくさんあるのですが、遅筆なもので、すみません。

まず、息子がいよいよ中学に入学します。
受験した中学はすべて合格し(してしまい)、私を大いに悩ませました。
今でも時々、この選択で良かったのだろうかと悩んでしまいます。
しかし、選んでしまったものは変えられないのですから、前に進むしかありません。

去年の今頃には全く考えていなかった中学の方にしました。
ここに気持ちが向いたきっかけは、塾主催の受験説明会で「うちは今まで通り変わりません。『主体的な学び』も『ICT』も関係ありません」と先生が言い放たれたことでした。
管理者が言う通りの(≒主体性がほとんどない)「主体的な学び」をやって悦に入っている教員と、その取り組みのおかげで主体性が育まれているという形跡がない生徒たちの実態にうんざりしていましたので、大いに興味を持ちました。
(ちなみに、現在の勤務校で主体性が育まれていないわけではなく、それは受験勉強や行事や部活など、昔からあった仕組みの中で育っていると感じています。)
「主体的な学び」や「ICT」に振り回されずに済む分、先生方は本来の業務にリソースを振り分けられるのではないかと思った次第です。
実際に学校説明会で公開授業を見ましたが、そこで繰り広げられていたのは、チョークと黒板を使って、教師が一方的に喋る授業でした。
だからといって主体性が育まれないわけではなく、むしろ、それぞれの教員が主体性を発揮して、学校全体の取り組みの中で、ものすごく主体的になっていくのだろうと感じました。
……しかし、知っている人もおらず、その直感が当たっているかは、今後分かることになると思います。

もう一つ悩んだ学校は、以前私がお世話になった学校です。
とても良い学校です。
きちんと「主体的な学び」を教員の主体性で進められる学校です。
でも、経営母体が学校教育以外の分野に熱心になり、その分予算が回ってこなくなり、先生方が疲弊しています。
今は個々人のプライドで、授業も生徒指導も部活も何もかも全力でなされていますが、まもなく「生徒指導」特にカウンセリング的な部分について手を抜く教員が出てくると予想しています。
一言でいえば、公立校のようになってきました。
……内情が分かっているだけに、避けてしまいました。


いずれにしても、(推定)発達障害児くんは同じ学校にはならなかったようで、ホッとしています。
それだけでなく、幼稚園時代から受験に熱心で嫌味ばかりだった保護者のお子さんたちは、軒並み不合格だったようで、その点でもホッとしています。


私の仕事の方は、新型コロナウイルスで大変ですが、それは私だけの話ではないので、ぼちぼちです。
不登校気味の生徒も、休校のどさくさに紛れて進級できました。
今年は3年生の担任です。
実はこの年齢になって、初めて3年生を担任します。
という話は、学校の誰にもしていません。
言いそびれてしまいました。
新入試にかこつけて、皆さんに教えをこうことにします。

ちなみに、上で「主体的な学び」をボロボロに書きましたが、管理職のご意向とは関係なく、真に主体的な学びを仕組んでいくことは、忘れずにやっていくつもりです。



[573] ネル様

投稿者: SuperT 投稿日:2019年11月29日(金)20時04分37秒   通報   返信・引用

なかなかうまくやっているじゃないですか――というのが感想です。
特に家庭訪問の件については気が合います。私も家庭訪問はよくしました。
性格的には気安く人に会いたがる性質ではないのですが、急がば回れで結局家庭訪問が一番効率の良いことに気づいてからは、熱心に行ったものです。

 文書は恣意に読み取られた上に言質を取られる危険性がありますし、そもそも時間がかかる。電話は、しないよりマシですが、やはり家庭訪問にはかないません。特に高校の先生だと、保護者としては来てもらっただけでも一歩引いてくれることが多いでしょう? 義務ですらそうですから。
 それに百聞は一見に如かず。家まで行かなければわからないこともたくさんあります。

>掲示板を使う時代ではなくなりましたが
 そう言われて「あれ? そう言えば皆様どうしておられるのかな?」と思ってあちこち覗いてみたら、そもそも個人サイトというのがなくなってみんなブログなのですね。それ以上に発信したい人はツイッターやフェイスブックで対応しているみたいで、そもそも掲示板全盛時代みたいに、長文でねちっこい話をすること自体がなくなっているようです。それはそれで時代の変化と言うものでしょう。

 私立中学については、半可通なのに余計なことを言いました。
 私が子どものころは近くに私立中学というものはなく、国立の付属に行ったら頭はすごくいいのに面倒くさい奴がたくさんいたので、あんなふうな言い方になったのです。当時は発達障害という概念もなかったので、適切な対応がとられなかったことにも問題があったのでしょうね。
 特別支援学校と私立中学の保護者が似ているというのは、とてもよくわかることです。
 いずれにしろ、お互いに成長の著しい年ごろですから、心配な同級生と一緒になっても何の問題もないかもしれませんし、さらに悪いことになっているかもしれないし、まったくノーマークの困難に出会うかもしれませんし――人生、いちいちが出たとこ勝負でやっていくしかないのかもしれません。



[572] Re: ネル様

投稿者: ネル 投稿日:2019年11月26日(火)04時18分49秒   通報   返信・引用

SuperTさんへのお返事です。

ありがとうございました。
息子がインフルエンザにかかって、なかなか大変な週末でした。
おかげで、あまり何も考えずに済みました。
今週は、安定したスタートが切れました。
バイオリズムが上向いてきたのでしょう。

不登校の生徒については、「この子には、遅刻してでも来るという発想がないのかも?」と思い当たり、その選択肢を与えたら、遅刻はしますが、学校に来られるようになりました。
高校では、生徒は広範囲からやって来るので、そんなに家庭訪問することはありませんが、早めに何度か足を運んでおいて良かったと思いました。
たまたま、息子がかかっている児童精神科が近くにあって、ついでに寄っただけという裏もあるのですが、内緒です。

家庭訪問といえば、別の生徒が休みがちで、提出物も滞っていたことから、家に行ったら、ズル休みが発覚しました。
電話で対応したお父さんがズル休みだとはっきり言ってくれれば早めに指導できたのに、一緒になって隠すので、なかなか発覚しませんでしたが、妹は容赦なかったです。
それ以来、休みなし、提出物も余裕をもって出すようになりました。
先生が家に来ることは、それなりにインパクトがあるのでしょうね。
「今度ズル休みしたら、ピンポンダッシュしてやる」と笑って、釘を刺してます。

私の自己肯定感はかなり低いです。
母から「お前なんて何をやってもダメ」と呪文をかけられて育てられましたし、もしかしたら遺伝もあるのかもしれませんが、心のベースに、自分なんてダメだ、があります。
それを「勉強ができる」という「特技」がカバーしてくれています。
受験も、就職試験も、1つだけ受けて合格し、現在に至っています。
それなりに難しい試験なので、よほど自信があったのだろうと思われることが多いのですが、実は逆です。
ダメな自分はどうせダメだから、とりあえず1つだけ受けて、あとはダメ人間として暮らそうという発想です。
本当に落ちていたらどうなっていたのだろうと思うことが何度もあります。
今は、パラレルワールドにいる気分です。

自己肯定感が低い私に、公務員というポジションはとても適していると思っています。
たぶん、民間企業に勤めていたら、「ダメな私」がクビになる前に、自分から辞めていたと思います。
公務員だと、よほど悪いことをしなければクビになりませんから、「ダメな私」はじっとしていれば良いのです。
でも、仕事に行ったら、本当にじっとしているわけにはいきませんから、それなりに過ごせます。
そんな私に、勤務評定などというものは、百害あって一利なしなのですが、なかなか分かっていただける気配はありません。
どんな評定がついても、満点でない限り、その減点に目がいってしまい、自分はダメだと言われている気分になります。

30歳でいきなり高校勤務を命じられ、新人ではないのに右も左もわからないという状態でこのサイトにたどり着きました。
もういい歳です。
掲示板を使う時代ではなくなりましたが、まだまだ来ますので、よろしくお願いします。

中学受験の第一目標は、面倒な子を避けることです。
似たような子の保護者の間で流行っています。
だから、T先生の「受験で進学するような中学校には、面倒くさい子がたくさんいそうです」は意外でした。
今回、息子が受験する私立中学のうちの一つに、しばらく教員としてお世話になっていましたが、生徒はかなり安定していました。
もちろん、他のクラスには強烈なものを抱えている子はいましたが、それらはほとんどが「親の問題」だったように思いました。
発達に問題を抱えている子は、きちんと医療機関と連携しているので、問題は最小限に抑えられていました。
親が子どもに関心を持っている子の集団はラクだという印象でした。
私立中学の保護者と、私がいた頃の養護学校の保護者は、雰囲気がとてもよく似ていました。
子どもに関心を持っているという点で、一致していたのかもしれません。
(推定)発達障害児くんも、親はきちんと子どもに関心を向けているようですので、中学で一緒になっても、思ったほど問題は大きくならないのかもしれません。
どこに行かせるかは、それ以外にも考える要素があり過ぎて困っていますが、なるようにしかならないですね。


>  生きていると、「私、何かしました?」と言いたくなるくらい嫌なことが続く場合があります。
> “幸せは独りで、不幸は手をつないでやってくる”というくらいですからね。
>
> 私がこどものころはバイオリズムというのが流行っていて、「身体」「感情」「知性」にはそれぞれ周期があってその重なりによって好調だった不調だったりするといった話がまことしやかに話されていましたが、その影響か、私は今でも「運」には波があると信じています。不運のときは何をやってもダメ、抵抗するとさらに悪くなる、そんなふうに感じているのです。しかし明けない夜はない。
>
> ですから「これは悪い運周りに入ったな」と思うと、ひたすら忍従という気持ちになったものです。前にも言ったかもしれませんが、
> 「(運命に)勝たなくてもいい、負けないことだけを考えて、土俵をひたすらぐるぐると回りながら、かわし、耐える」
>  そんな感じです。そしておまじない。
>
>  これも話したことがあるのかもしれませんが、もう40年近くも以前、私より6歳も年下の若い先生から教えられた言葉です。
> 「何があったって、命までよこせとは言わんでしょ」
>  もう一つ、
> 「担任が頭を下げたおかげで生徒が叱られないなら、それでいいでしょ」
>
>  学年主任に叱られて、
> 「オメエは『すみません』『すみません』って言うだけで、ちっとも治らねぇじゃねえか!」
> と言われて、
> 「すみません」
> と答えるようなふてぶてしい人でしたから、なかなか真似のできることではありませんが、それでも何かあると、私は心の中で「命まではよこせと言わんでしょ」とつぶやいて凌ぐようにしてきました。
>  私の妻は、今もそれをおまじないにしています。
>
>
> >自己肯定感の低い私
>
>  ネル先生のことをそんな視点から考えたことがなかったので少し驚きました。しかしそう考えると理解できる面もあったのかもしれません。
>  自分のこと肯定的にとらえられなくても、許してあげられるといいですね。
>
>  ネルさんの年齢については知りませんが、私のサイトも今月末で20周年、初期からのお付き合いですからそのことを考えるとそこそこのお年ですよね。その間たくさんのしんどいことがあって、しかもそれを全部しのいできたのですからなかなかなものです。自分でも誉めてあげましょう。
>
>  中学受験のことは受かった中で一番行きたいところへ行けばいいのです。決まったところで担任の先生に報告に行って、ついでに“(推定)発達障害児くんが同じ学校に行くなら、クラスが一緒にならないよう、くれぐれも中学校に申し送ってください”とお願いしておくのがいいと思います。よもや中学校もなんの申し送りも受けないまま学級編成などしないでしょうから。
>  担任が不安なら、教頭先生にもお世話になったのですから、報告がてらこういうことが心配だ、と話しておくと保険になるかもしれません。
>
>  もっとも受験で進学するような中学校には、面倒くさい子がたくさんいそうです。あの子をかわしてもこの子とゴッツンということはありそうですから、行き当たりばったりでもいいのかもしれません。その場で考えましょう。
>



[571] ネル様

投稿者: SuperT 投稿日:2019年11月20日(水)19時38分23秒   通報   返信・引用

 生きていると、「私、何かしました?」と言いたくなるくらい嫌なことが続く場合があります。
“幸せは独りで、不幸は手をつないでやってくる”というくらいですからね。

私がこどものころはバイオリズムというのが流行っていて、「身体」「感情」「知性」にはそれぞれ周期があってその重なりによって好調だった不調だったりするといった話がまことしやかに話されていましたが、その影響か、私は今でも「運」には波があると信じています。不運のときは何をやってもダメ、抵抗するとさらに悪くなる、そんなふうに感じているのです。しかし明けない夜はない。

ですから「これは悪い運周りに入ったな」と思うと、ひたすら忍従という気持ちになったものです。前にも言ったかもしれませんが、
「(運命に)勝たなくてもいい、負けないことだけを考えて、土俵をひたすらぐるぐると回りながら、かわし、耐える」
 そんな感じです。そしておまじない。

 これも話したことがあるのかもしれませんが、もう40年近くも以前、私より6歳も年下の若い先生から教えられた言葉です。
「何があったって、命までよこせとは言わんでしょ」
 もう一つ、
「担任が頭を下げたおかげで生徒が叱られないなら、それでいいでしょ」

 学年主任に叱られて、
「オメエは『すみません』『すみません』って言うだけで、ちっとも治らねぇじゃねえか!」
と言われて、
「すみません」
と答えるようなふてぶてしい人でしたから、なかなか真似のできることではありませんが、それでも何かあると、私は心の中で「命まではよこせと言わんでしょ」とつぶやいて凌ぐようにしてきました。
 私の妻は、今もそれをおまじないにしています。


>自己肯定感の低い私

 ネル先生のことをそんな視点から考えたことがなかったので少し驚きました。しかしそう考えると理解できる面もあったのかもしれません。
 自分のこと肯定的にとらえられなくても、許してあげられるといいですね。

 ネルさんの年齢については知りませんが、私のサイトも今月末で20周年、初期からのお付き合いですからそのことを考えるとそこそこのお年ですよね。その間たくさんのしんどいことがあって、しかもそれを全部しのいできたのですからなかなかなものです。自分でも誉めてあげましょう。

 中学受験のことは受かった中で一番行きたいところへ行けばいいのです。決まったところで担任の先生に報告に行って、ついでに“(推定)発達障害児くんが同じ学校に行くなら、クラスが一緒にならないよう、くれぐれも中学校に申し送ってください”とお願いしておくのがいいと思います。よもや中学校もなんの申し送りも受けないまま学級編成などしないでしょうから。
 担任が不安なら、教頭先生にもお世話になったのですから、報告がてらこういうことが心配だ、と話しておくと保険になるかもしれません。

 もっとも受験で進学するような中学校には、面倒くさい子がたくさんいそうです。あの子をかわしてもこの子とゴッツンということはありそうですから、行き当たりばったりでもいいのかもしれません。その場で考えましょう。



[570] 最悪の時期は脱したのかもしれません

投稿者: ネル 投稿日:2019年11月20日(水)00時48分59秒   通報   返信・引用

T先生

息子は相変わらずですが、スクールカウンセラーに時々話を聞いてもらっているようです。
いちいち保護者が予約を取るように言われ、中高みたいに本人の意思ではダメなのかと聞いてみたところ、それへの返答は特になかったのですが、知らぬ間に本人が予約してました。
複数の私立中学に合格したとき、どこに進学するかを悩んでいます。
前回書いた(推定)発達障害児くんも中学受験するらしいので、同じ学校にならないことを祈ります。ら

義母が警察に2回お世話になりました。
対応に困っていたら、また消えました。
今頃は、またどこかのどなたかにご迷惑をおかけしているのでしょう。
心は痛みますが、ほとんど打つ手がありません。

クラスで不登校が出ました。
実は、私自身初めての経験です。
大人は右往左往していたのですが、ひょっこり来ました。
続けばいいのですが。

部活動でトラブルが起こっています。
普段、ほとんど部活動には関わりませんから、生徒は言うことを聞くはずがありません。
にもかかわらず、彼らの行動の責任を取らされるなんて、たまったものではありません。

押し並べてみれば、最悪の時期は脱したのかもしれません。
しかし、自己肯定感が低い私にとっては、とても辛いです。



[569] 難しいですね。でも頑張りましょう。

投稿者: SuperT 投稿日:2019年 9月 7日(土)15時48分48秒   通報   返信・引用

 夏休みに学校に行ってハードルを低くしたら、その低くなったハードルを学校の方が越えてきた、ということかもしれません。
 しかし情報の行き来がたくさんあることは悪いことではないでしょう。嫌な情報もたくさん来ますが、こちらの言いたいことも通りやすくなっています。そう思うことにしましょう。

 もう二十年も前のことですが、私の実家のお向かいさんが、中学3年生の娘さんの不良行為で学校に呼ばれたことがありました。帰ってきたお母さんが一番嘆いたのが、
「なんでこんなになるまで、一言も知らせてくれなかったのか」
ということです。

 私にも心当たりがあるのですが、一度家庭連絡のタイミングを逃してしまうと、声をかけずらくなって結局、雪だるまのように大きくなった問題を手遅れの時期に連絡する羽目になったりするのです。
 ネルさんの場合、今回、教頭先生とつながったことが息子さんの成長に有利に働くよう、うまく活用できるといいですね。


 義務教育は高校のように入試のスクリーニングを経ていませんから、振れ幅の大きな子どもが同時に入ってきます。発達障害の子が1クラスに2~3人ということもいくらでもあるのです(高校は学校によってはそれよりもはるかに多いかもしれませんが)。

 私が小学校の教師として担任した最小のクラスは14人でしたが、そこに典型的なアスペルガーの子がひとり、LDの子がひとりいました。
発達障害という概念がほとんど知られていない(というか当時は発達障害という言葉すらなく、高機能広汎性障害と言っていました)時代で、LDの子も適切な指導を受けていませんでしたから二次障害の傾向が強く、初めて会ったときは他の病気を疑うほどエキセントリックな子でした。

 その二人の児童にかき混ぜられて、学級経営は本当に大変でしたが私は文句ひとつ言うことはしませんでした。その前年まで、同じクラスにさらにもう一人、重度の知的障害の子がいたことを聞いていたからです。前任者のことを考えると、とてもではありませんが不平の言える立場ではなかったのです。

 ついでにお話します。
私の妻は教員生活の後ろ半分を特別支援学校で送っていますが、ある時期、高等部の発達障害の子を集めたクラスの担任をしていたことがあります。
「発達障害の子を集める」ということ自体がかなり無謀だと思うのですが、おかげで1年間、妻は生傷が絶えませんでした。
 自閉圏の生徒が相手の気持ちを考えない常識外れのことを口にして、ADHDの子が瞬間的に怒って殴るといったことが日常茶飯事だったので、そこに割って入って妻が殴られて帰ってくるわけです。

 教育の現場も、時に命懸けです。
ただ、生徒三人につき教師一人といったたいへん恵まれた状況でしたので、普通の学校よりははるかに厚い手当てができました。
トラブルのあるたびに、一対一の対応をたっぷりしたのです。

具体的にはソーシャル・ストーリーみたいなことで、起きたトラブルを丁寧に振り返り、その時々でより良いどんな対応があったのか、一緒に考えるのです。
表情を読むとか言外の思いに対応するとかいったことの苦手な子たちですので、相手の言葉や態度の意味とか表情とかは、いちいち言語化して理解し、次に同じことが起こったら使えるように、対応も具体的で覚えやすいものでなくてはいけません。
そうやって、私たちなら自然に学んできたものを、知識として蓄積していくわけです。

――正直言って、それでどれほど状況が良くなったかというと、かなり心細いのですが、他にやることが少ない以上、同じことを辛抱強く続けるしかありません。
ただし養護学校の中でも特に児童生徒数の少ない妻の学校ですらなかなかうまくいかなかったのですから、一般の小中学校ではとてもではありませんが果たせることではありません。担任も学年の職員も、毎日が事後処理でアップアップで、根本的な解決とは程遠いことしかできなくなっているからです。
 やはりここは親の出番、というところでしょう。

 思い起こすと私自身の二人の子についても、「いい担任に恵まれた時期とそうでなかった時期は、概ね半々だったかな」といった感じです。
 指導力のない困った先生というのはそんなに多くはないのですが、うちの子に“合わない”ということもあるので、おおよそ半々というくらいになってきます。

子どもが先生とうまく行っていて友人関係もそこそこの時期は、親としても楽です。手を出さず見守っているだけでいい。しかしいわゆる「ハズレ」の時期には、学校が不足している部分を、家庭が必死に支えなくてはいけません。担任もクラスも変えようがありません。できるのは自分の子を変えることだけです。一生懸命はなしを聞き、一生懸命考えます。

 今回のことで言えば、どういった経緯でどんな会話がなされ、そんなふうに手や足が出たのか、しっかりと様子を聞き、今度同じことが起きたらどうすればいいのか、具体的に考えて練習しておくということです。さらに可能な限りさまざまな状況を想定して、対処の仕方を考え、それを記憶として頭に格納し、いつでも出し入れできるようにしておかなくてはなりません。

例えば、「死ね」と言われたとき、
① 世の中には腹を立てると平気でそうした言葉を口にできる人がいること。
② しかし相手は本気で死んでほしいと思っているわけではなく、相手が嫌がる言葉を吐き出したいだけだということ。(この程度のことも確認しておく)
③ 普通の人は、普通の状況でそういうことは口にしないということ。したがってあなたもそういうことを言ってはいけないこと。
④ 「死ね」だの「バカ」だの嫌な言葉を履かなければ生きて行けない人は、本当は憐れむべき人です。きっといつかはその人も理解する日が来るだろうけど、今はそう簡単に態度を改めるわけにはいかないだろう。
⑤ だったら「死ね」とか「バカ」だとか言われたとき、あなたはどういう態度を取ったりいいのだろう。

 さえ、どんな答えが返ってくるでしょう?
 私は小学生相手に同様の指導をしたことがあるのですが、「心の中で100まで数える」というのが出て来て笑ってしまいました。ですから思ったことをそのまま返しておきました。
「とてもいい考えだけど、100までは数えなくていいかもしれないね。20くらいでどうだろう?」
 それとは別に「近くにいないようにする」というのもありました。賢い選択です。
「先生にいいつける」はもちろん出てきます。
「簡単にバカと言う人の方がバカなんだよと教えてあげる」も小学生らしい答えです。
クラス全体を相手にした話し合いでしたので意見もたくさん出てきましたが、これを1対1で話し合ったら、けっこう難しいかもしれませんね。

いずれ大人になってもさまざまな場面でさまざまな困難にあう子たちです。トラブルはないに越したことはありませんが、あればあったでこれを奇貨として、人間関係を学び知識として蓄えていくしかありません。
時間的に、そして社会制度として、それができるのは今のところ親しか残っていません。
たくさん話を聞いて一緒に考えてあげましょう。
 楽な仕事ではありませんが、子どもが子どもでいる時間は案外みじかいものですし、その時間の半分程度をしっかりと支えればいいだけのことですから、長い人生のほんのわずかな時代と思い定めて頑張るしかありません。


*子どもの話を聞いてると、しばしば首を傾げたくなる時があります。事態がうまく伝わってこなかったり(何が起こっているのか分からん)、信じられないようなことを聞かされる場合です(先生が先頭になってボクをイジメているなど)。
 そうしたことがあったらいちいち学校に問い合わせてみるといいと思います。どうせ嫌われてもあと7ヶ月。わが子がきちんと育つことの方が大事です。



[568] 何ということでしょう。

投稿者: ネル 投稿日:2019年 9月 3日(火)22時30分45秒   通報   返信・引用

T先生

> 2学期の始まりはいかがだったでしょう?

今日、小学校から呼び出されました。
今回は教頭先生も同席されました。

今回と前回とで分かったことは、息子のクラスには、息子以上に大変な発達障害児(私の推測)くんがいるということでした。
この子がいる限り、またトラブルが起こるでしょう。
前回、うちの子は被害者でしたが、今回は加害者になりました。
手と足が出てしまいました。

「(私が教員なので)学校のことが分からなかったら、正直、『分かってて、何でこの子と同じクラスにしたのよ!』と言いたいところですが、うちの子だけじゃないんですよね。むしろ、他に配慮すべきことが山のようにあるんですよねぇ、きっと」と言っておきました。
学年主任が大きく頷いていらっしゃいました。

今まで運が良くてこのタイプと一緒にならなかったのか、今までの担任が抑えていたのか分かりませんが、この状況は卒業まで7ヶ月間は変わらないということです。

被害者の家に電話しましたが、「お互いさまですから!」と明るく言われました。
いや、そう思ってもらわないと困るのですが。
むしろ、誘発しないでほしいのですが。
……と言いたいところですが、おそらくこのお母さんの方が何倍も苦労してそうなので、飲み込んでおきます。


あー、全部仕事置いてきてしまいました。
早退した子の家に電話かけてない!
先輩とのトラブルの仲裁に入るって言ってたのに、放って帰ってしまった!
勉強教えてくれって子との約束を破ってしまった!
明日も憂鬱です。



[567] ネル様、返事が遅くなりました。

投稿者: SuperT 投稿日:2019年 9月 3日(火)15時03分28秒   通報   返信・引用

夏休み中のこと、うまく行って良かったですね。
今回の一番の収穫は教頭先生とのパイプができたことです。一回つくってしまえば、あとは何回でも同じルートで話を持って行けます。もう担任を通す必要もありません(ただし、教頭のほうから「この件は担任と話してください」ということはあるかもしれませんが)。

来年は中学校ですよね。
時期が来たら、学校からも十分に情報が引き継がれるよう、その点もお願いしておくといいかもしれませんね。

2学期の始まりはいかがだったでしょう?





[566] ありがとうございます。

投稿者: ネル 投稿日:2019年 8月27日(火)00時15分37秒   通報   返信・引用

T先生

自分では言葉にできなかったことを形にしていただき、とても感謝しています。
一呼吸置いて、冷静に電話することができました。
教頭と話しました。
冷静になったといっても、かなり怒りがこもっていたのではないかとは思いますが、少なくとも高圧的にならずには済みました。

ただ、それから3日間ほど病院のベッドで過ごすことになってしまい、それどころではなくなりました。

というわけで、時間を置いた分、さらに冷静になって学校と話すことができました。
時間があったので、学校側も策が練りやすかったのでしょう。
同席者は教頭ではありませんでしたが、人選が的確でした。
同席した先生の現状把握と分析が非常に適切だったこともあり、和やかに話が進みました。
こちらも、何が起きているか、おおよそ分かりました。
息子も同席しましたが、今のところ前向きに学校に行こうと思えてきたようです。


それにしても、子どもをうまく把握できない人は、どこの学校にもいるものだなと、つくづく思いました。
今の勤務校で、昨年度、辞めさせられそうになった子がいます。
担任の認識がずれていたことで、学年主任の認識もずれ、結果、校長の認識もずれていました。
ひっくり返ったから良かったのですが、校長に権限が集中することの危うさが露呈しました。

その子は今、私のクラスにいます。
昨年度とは打って変わって、大人しくしています。
あの担任じゃなければ、昨年度も大人しくしていられたのではないかと思えるほど、穏やかです。
一癖はあります。
たぶん、うちの子のお仲間です。
ごく軽いのだと思います。


うちの子も、担任によっては、とんでもない方向に行ってしまいそうで怖いです。
ダメな担任に当たったとき、親としてどのような手が打てるのか、悩ましいところです。

それよりも、まだ新学期は始まっていないので、本当にうまく滑り出せるのかどうかの方を心配しなければなりませんね。


ひとまず、ありがとうございました。



[565] ネル様、まずは実態把握だと思います。

投稿者: SuperT 投稿日:2019年 8月20日(火)16時26分5秒   通報   返信・引用   編集済

心配ですよね。

勤務する学校の児童生徒と違って、自分の子どもの教育には本当に途方にくれる場面が多々あります。私も同様でしたから、子育ての先輩として何か特別なアドバイスができるかというとそういう訳にもいきません。

ことにご相談の件に関してはあまりにも情報が少なく、どう話を始めていいのかわかりません。しかしおそらく“情報が少なくて”という状況はネルさんにとっても同じで、だから困っておられるのでしょう。

私も昔、一度だけですが、被害者が実態を明かさない“いじめ事件”というものに出会ったことがあります。保護者が「本人は誰がやったとか具体的なことは言わないが、とにかくいじめのために学校に行かれなくなっている。事実を確認して、一週間以内に文書で回答の上、善処してほしい」とねじ込んできたのです。

しかし教室で子どもたちに聞いて、
「○○くんがいじめられているようだが、誰か事情を知っている者はいるか?」
で応えが出てくるはずもありません。たいていのいじめは人の見ていないところで行われ、加害者は口を割らないのが常だからです。

 いじめ問題は被害者(または目撃者)の具体的な証言があって初めて指導のテーブルに乗ることができるものです。「いつ」「だれが」「どんなふうに」くらいははっきりしないと、なにも始まりません。
私のこの事件は、学校の調査が始まる前に“被害者”が転校してしまったのでそのままになってしまいましたが、さまざまに考えさせられる出来事でした。


 ネルさんのお子さんの場合も、学校に持ち込んだところで、今のままでは誰が「死ね」と言っているかを突き止めることすら至難です。担任の先生が当てにならないとなればなおさらでしょう。


 さらに、もしかしたら問題自体が、
「特定の個人または集団から、繰り返し繰り返し『死ね』と言われて恐ろしくて学校に行けない」
といったいじめではなく、
「非常に悪い状況で『死ね』と言われてすっかり自信を失ってしまい、学校に行けない」
自信喪失の問題なのかかもしれませんし、最初に「学校に行けない」という状況があって、
その「心底、学校に行きたくない(=行けない)自分」を説明しようとしたら、『死ね』と言われたことしか思いつかなかった――そういう不登校の話なのかもしれません。
それらの複合した問題の可能性もあります。

子どもは(とくに小学生は)とにかく主観的な存在で、彼らの語る話はいつも「ボクの見た、ボクの世界の、ボクの物語」です。その目に映っているのは私たちの見るものとはかなり違った世界です。

ですから実際に学校で何が起きていたのか、「死ね」と言われ続けているとしたら、少なくとも「誰が」「いつ」「どのくらいの頻度で」言っているか、その程度の具体的な事実は掴んでおかなくてはなりません。
具体的事実を土台にしないと、何の対策も打てないからです。

ただし、そこで改めて浮かび上がってくるのが、
「学校で起こっていることですから学校に調べてもらうしかなく、しかし今回の場合、生徒指導の第一担当者である学級担任が当てにならない」
という第二の問題です。


 これに関して、一番あてにできるのは教頭(副校長)先生です。高校ではどうか知りませんが、義務教育で最も頼りになるのがここで、校長先生に話を持って行っても教頭に丸投げされてしまうのが普通です。現場のことを一番よく知っていますから最初からここに持って行く方が便利なのです。

ただし話の持って行き方にはちょっと工夫が必要で、うっかり話を持ち込むと「まず担任と話してください」と押し返されかねません。教頭と言えど担任を無視して話を進めるわけにはいかないからです。

そこで、私だったら担任に相談する際、
「できれば教頭先生のご意見を伺いたいので、同席していただくわけにはいきませんでしょうか?」
といった言い方で三者面談にしてもらいます。それがかなわなかったら担任に相談したその足で、「やはり教頭先生のお話も伺いたいので、職員室に寄っていきます」とかいって直接押しかけます。

 そんな乱暴なやりかたが難しいようなら、学校での話の持って行き方それ自体を別の先生に相談するのもいいかもしれません。この場合に頼りになるのは養護教諭でしょう。
養護教諭は児童生徒についても学校そのものに関しても熟知した人ですからここに相談して、以後の方向について一緒に計画を立てるものいいかもしれません。
養護教諭がベテランなら頼りになりますし、新人だったらすぐに教頭先生に報告に行くはずですから話はかえって早いかもしれません。


最後に、これは私のサイトやブログでいつも申し上げていることですが、初めて学校に問題を持ち込むときには、ふたつの大切な点を押さえる必要があります。

ひとつは、最初は、必ず下出にでること。間違っても「担任の先生が“死ね”といい続ける子どもを押さえてくれない」といったところから話を始めないことです。

事態が親の思っている以上に深刻な場合もありますが、逆のケースだってあるのです。
“死ね”と言われたような事実がない、あるいは軽い調子の1回だけだった――さらに最悪の場合は、実はこちらが何度も繰り返し“死ね”と言っているのに対して、あちらが堪らずに言い返しただけだったとか、子どもの世界では想像もしてないことが起こっています。

最初から高飛車に出て鼻をへし折られると、あとがやりにくくて仕方がありません。最初だけでいいのですから、下からおずおずと話を持って行きましょう。

もうひとつの大切な点は、帰るときに締め切りを設定してくるということです。ご存知の通り教員は年がら年じゅう忙しがっていますから、すぐに仕事を「怖いもの順」に組み替えてしまいます。
「私にも仕事の関係がありますから今から予定を立てておきたいと思います。次はいつ学校に窺ったらいいでしょうか?」
そんな言い方で牽制しておかないと、どんな重要なことでも後回しにされてしまうことがあります。

 いずれにしろ放っておいていいことではありません。
「学校に行き続けると、死ねと言われ続けることも覚悟しなければならない」
は、やはりかわいそうです。
 今のうちに何らかの手を打っておきたいですね。





[563] とうとう…

投稿者: ネル 投稿日:2019年 8月20日(火)00時26分8秒   通報   返信・引用

T先生 こんにちは。

うちの息子が、6年生になってから元気がありません。
どうやら、クラスメイトから「死ね」と言われているようです。
夏休みの直前にも、死ねと言われるから学校に行きたくない、と泣くことがありましたが、夏休み明けが見えてきて、再発しています。
言う人は誰かと聞いても答えられないので、言わない人は誰かと聞くと、二人だけ名前が挙がりました。
そのうち一人は、特別支援学級の子で、何度か同じクラスで活動してきた子のようです。

担任(定年間近?)は、懇談等で話しても、何を喋ってるか分からないような人です。
よく小学校の先生になれたな、続けてこられたな、というのが正直な感想です。
おそらく、あれでは子どもたちを全くコントロールできないでしょう。
この人を6年生に持ってこなければならないなんて、どれだけ学校事情が厳しいのかと、管理職の先生に同情してしまいます。

親の私はどうすればいいか、全く分かりません。
担任を変えることは不可能でしょう。
うちの学校だって似たようなことがあっても、全く手が打てませんでしたから、他に打つ手がないように思えるのです。

T先生、何か良い知恵がありましたら、ぜひお貸しください。
久しぶりにやってきて、申し訳ありません。

ちなみに、「先生の悪口を子どもに言わない」という掟は、破ってしまいました。
「(死ねと言われるくらいなので)僕はダメな人間なんだ」と泣くので、「あなたが悪いんじゃない、周りの子が言うのを止められない先生が悪いのよ。去年はそんなこと起きなかったでしょ?」と思わず言ってしまいました。
でも、担任は変えられないこと、最悪、学校に行き続けると、死ねと言われ続けることも覚悟しなければならないこと、などは伝えました。

それでもやはり、言われ続けるのはかわいそうです。



[562] Re: ネル様

投稿者: ネル 投稿日:2019年 2月 3日(日)23時23分10秒   通報   返信・引用   編集済

SuperTさんへのお返事です。

> ネル先生
>  ずっと気にしていました。
> 見放されたのではないかと、心配したりもしました。
> 「あけましておめでとうございます」程度でいいので、一年にいっぺんは顔を出してください(こちらからは呼びかける方法がないので)。

申し訳ありません。
去年までの立場では、ネットであっても、なかなか気軽に発言できず、ついついタイミングを逃してしまっていました。

>  さて、学校に持ち込まれるもので“悪いもの”はないので教員評価もいちおう“なかなかいいものだ”と評価しておきます。

>  1万円の利益を生み出すために毎回10万円も投資しているようなものです。

近年入ってきたものは、概ねそんなものばかりですね。
コスト意識が足りません。

> 元に戻ってネル先生。
> 先生の校長――つまり分かっていない人の評価ですし、それで何かが変わるわけではありませんから、一晩気にしたら明日は忘れましょう。バカのことをいつまでも悩んでいるのは馬鹿らしいことです。

私が付ける生徒の評価は、ものすごくいい加減な基準のもと、厳密に付けた絶対評価です。
管理職からの評価も、そうであると思うことにします。

> 話は変わりますが、アクティブラーニングというヤツ、また妙なことを始めたものです。これもアメリカ由来ですよね。アメリカなんてPISAテスト科学的リテラシーで24位(56各国中)ですよ。読解力も24位、数学的リテラシーなんて40位です。それに対して日本は2位、8位、5位。なんでそんな格下の国に学習法を教えてもらわなくてはならないのでしょう。アメリカの真似をしたらアメリカ以下にしかなれないのに――それがいつも私の感じている思いです。

アクティブラーニングは、元々は高等教育で提唱されたものです。
だから、PISAで比較することには意味がありません。
もちろん、初等・中等教育に下ろすことも、本来意味がありません。

では、なぜ私がやろうとするのか?

> そもそも学習法なんて古くはプロジェクト・メソッドだとかコアカリキュラムだとか、問題解決学習だの生きる力の育成だのといろいろ言ってきましたが、結局、効果が認められて万民に役に立つのは「繰り返し学習」と公文張りの「先行学習」だけです。

主体的に、アクティブに、「繰り返し学習」と「先行学習」をするよう仕向けるのが面白いからです。
そういう意味では、従来と大して変わりません。
高等教育のアクティブラーニングを中等教育でやるなんて、トンチンカンだとは思うけど、どうせらるなら、そこから着想して面白いことをやってしまいたい、という発想です。

> アクティブ・ラーニングのなどの資料を読むと、相も変わらず「これからの時代は、ただ知識を増やすだけでなく、その知識をどう生かすことができるかが重要である」とか書いてありますが、少なくとも私が教えてきた田舎の公立学校の子どもたちは「ただ知識を増やすだけ」のその部分がうまく行っていません。

同感です。
知識をどう生かすかを学ぶのが大学時代だと、大学にのべ8年も通った私は思います。
「大卒」という学歴の価値は、そこです。
だから、育休から復帰したばかりの頃は、「アクティブラーニングなんてクソ喰らえ!」と思っていました。
ところが、公立以外(国立や私立)で研究している人たちの取り組みは、私が管理職から強制されたアクティブラーニングとは全く違っていました。
「ただ知識を増やすだけ」が重要なのは、当たり前なのです。
国から県、県から校長、校長から主任、主任から平の教員へと伝えられていくうち、しかもかなり早い段階で、曲げられていたことを痛感しました。
本当は、もっと自由に議論がなされていいはずなのてす。
形もいろいろあるはずです。
従来もいろいろな授業があって成果を上げていましたし、これからの授業が、従来の授業と極端に乖離しているはずがないのです。

私たちは、なかなか学校の外に出ることはできませんから、どこかでねじ曲げられたアクティブラーニングに苦しめられました。
各地でそんな状況に陥ったのでしょう、出来上がった学習指導要領には、それまで使われてきた「アクティブ・ラーニング」という用語がが使われませんでした。
「主体的・対話的で深い学び」になっても同じですが。

> ――などと、いま一生懸命に指導法を開発している人たちの前で言うことではありませんね。

「指導法」(もしかして「教授法」と書かれていませんでしたか?)という言葉に引っかかり、この週末、いろいろ考えていたことを書いてみました。

ちなみに、グローバル化ですが、私は普通の日本人が海外に出稼ぎにいくことを想定しています。
周りを伺いつつ、時には図々しく主張できる人間に育てておかないと、すぐに潰されるだろうと思っています。

>  ご家族のこと、気にしていました。
>  しかし昔に比べると、ずいぶん余裕ですよね。いいことです。

ありがとうございます。
今朝、息子が大事なものを失くし、しかもそれをしばらくの間黙っていたことに腹が立ち、「出て行け!」と言ったところ、本当に出ていきました。
午後3時頃にお腹が空いて、帰ってきました。
発達障害の程度は、もしかしたら大したことないのかもしれません。
(そんなことはありませんが。)

これからも、よろしくお願いします。



[561] ネル様

投稿者: SuperT 投稿日:2019年 2月 1日(金)19時15分27秒   通報   返信・引用   編集済

ネル先生
 ずっと気にしていました。
見放されたのではないかと、心配したりもしました。
「あけましておめでとうございます」程度でいいので、一年にいっぺんは顔を出してください(こちらからは呼びかける方法がないので)。

 さて、学校に持ち込まれるもので“悪いもの”はないので教員評価もいちおう“なかなかいいものだ”と評価しておきます。
一年に何回か自分を見直し、管理職に対して自分が何に頑張っているのか、どうしたいのかを知らせるという意味でとてもいいのですが、しかしとにかくエネルギーコストがかかりすぎます。
 1万円の利益を生み出すために毎回10万円も投資しているようなものです。

確かに、「もう慣れたので1時間もあれば書けちゃうよ」という人もいますが、「1時間で書けちゃう」ものはその程度のものでしかありませんから、その1時間を使うのももったいない。紙代・印刷代ももったいない。やめるべきです。


ところで、私も「1時間で書いちゃう」派でしたが、そうなったきっかけは、「4」だの「5」だの「2」だのとちりばめた自己評価に対して、校長が「オール3」で返してきたことです。要するに見ていない。
一年間働けば私にも誇りをもって「5」と言いうることもあれば、痛烈な反省をもって「2」と書き次年度に期することもあるのです。それを「オール3」とは。

給与にも昇進にも反映しない教員評価なんて進路の絡まない小学校の通知票と同じで、本来は職員の「やる気」を引き出す道具です。本人がガックリしてやる気をなくしたら評価者の負けなのです。

私の場合ですと、どうせ「オール」なら「オール4」にしておけばよかったのです。その上で面接のとき、
「どうして私の自己評価が2なのに校長は4なのですか?」
と訊かれたら、
「いやいや謙遜もいい加減にしましょう。成果は小さく見えますが、誰も手をつけなかった分野です。私は4でいいと思いますよ」
と答え、
「この項目は自分でも頑張ったと思って5にしたのですが――」
と言われたら、
「本当にこれ以上はありません? たしかに評価項目は『計画通り』であって杓子定規評価をすれば5なのでしょうが、先生は計画以上のことのできる人でしょ? それでちょっと期待を込めて4に押さえちゃった。でも、やはり規定通り「計画通り」=5にしておけばよかったですかね、申し訳ありません」
とでも言っておけばいいのです。
普通の校長なら必ずそんなふうにするはずです。

私がやる気をなくした時の校長も、ネル先生の今の校長先生も、能力に欠けるのかまだ慣れないためなのか、そのへんがうまく行っていないのでしょう。
評価を気にするより、その校長先生に同情することの方が先かもしれません。

>アドバイス欄のコメントが的はずれ。
と言われてしまうような校長先生、陰で他でも、きっと言われています。


実はこの制度は上から腐ってきました。
無理もないのです。校長の評価(管理職評価)は義務の場合、市町村教育長がしますが、配下に40人も50人もの校長を抱えた教育長が一人ひとりについて知っているなんてありえないのです。教育長がよく知っているのは、昔の知り合いとその年に問題だらけだった学校の校長だけですから――。

だからきちんと書けない――腐ってくるといった図式になります。上が腐ると下も腐る。
高校の場合は都道府県の教育長が書くのでしょうか? 都道府県の教育長には教員上がりではない人が大勢いますから、細かな実情も分からず書くことになります。ですから余計に腐る。書く方も書かれる方も気の毒です。ロクな評価になっていないでしょうから。


ついでですが「教員評価」は学校の実情というものを全く考慮せずにつくられた制度です。職員数10~30といった規模の学校ならまだしも、特別支援学校の中には小中高、重度心身障害、分校、寄宿舎とそれぞれに職員がいて、うっかりすると一人の校長が300人もの評価をしなくてはならない場合があります。
面談をひとり3分と限ったところで15時間。評価して総合評価を記入するのを5分で済ませて25時間。
授業中に呼び出すわけにはいきませんから休み時間や放課後を使って毎日2時間ずつ行っても20日かかる計算です。ほんとうに気の毒ですね。ですからここでもうまく運びません。

元に戻ってネル先生。
先生の校長――つまり分かっていない人の評価ですし、それで何かが変わるわけではありませんから、一晩気にしたら明日は忘れましょう。バカのことをいつまでも悩んでいるのは馬鹿らしいことです。


話は変わりますが、アクティブラーニングというヤツ、また妙なことを始めたものです。これもアメリカ由来ですよね。アメリカなんてPISAテスト科学的リテラシーで24位(56各国中)ですよ。読解力も24位、数学的リテラシーなんて40位です。それに対して日本は2位、8位、5位。なんでそんな格下の国に学習法を教えてもらわなくてはならないのでしょう。アメリカの真似をしたらアメリカ以下にしかなれないのに――それがいつも私の感じている思いです。

そもそも学習法なんて古くはプロジェクト・メソッドだとかコアカリキュラムだとか、問題解決学習だの生きる力の育成だのといろいろ言ってきましたが、結局、効果が認められて万民に役に立つのは「繰り返し学習」と公文張りの「先行学習」だけです。

アクティブ・ラーニングのなどの資料を読むと、相も変わらず「これからの時代は、ただ知識を増やすだけでなく、その知識をどう生かすことができるかが重要である」とか書いてありますが、少なくとも私が教えてきた田舎の公立学校の子どもたちは「ただ知識を増やすだけ」のその部分がうまく行っていません。

源義経と徳川家康が戦ってそこに坂本龍馬が駆けつけるような頭を整理して世に送り出さないと、妙な時にとんでもない恥をかく、それでは可哀そうだ、が私の教科教育の肝でした。

アクティブ・ラーニングでは、「ハーバードではすでに・・・」といった言い方もありますが、論外です。
ハーバードやケンブリッジと勝負できるような子は、結局ひとりも育てられませんでしたし、運よくできてもひとりがせいぜいだったはずです。
アクティブ・ラーニングの目標、
「多様性や創造性といった力をつけることで新しい社会を創っていくような人材となるように教育する」には、素材が私とほぼ同じレベルの子では話にならないでしょう。

「子どもたちをいかに主体的に発言させ、能動的に動かすか」ということ話し合う職員会議の場に主体的な発言が少しもなく、誰も能動的でないというのはよくあることです。校長会だって同じです。なぜなら全員日本人だからです。
 普通の日本人は右や左を見てみんなに合わせて生きていくものです。アクティブな生き方を始めたら「普通の日本人」ではなくなってしまいます。

――などと、いま一生懸命に指導法を開発している人たちの前で言うことではありませんね。

 ご家族のこと、気にしていました。
 しかし昔に比べると、ずいぶん余裕ですよね。いいことです。

また来てください。



[560] 教員評価で眠れません。

投稿者: ネル 投稿日:2019年 2月 1日(金)04時32分17秒   通報   返信・引用

T先生

昨年はご挨拶のタイミングが掴めず、今年の年始も同様で、失礼しました。
元気にやっています。
昨年の春からまた普通の教員生活を送っています。

今日は、年度末の教員評価を見せられて、眠れなくなっています。
昨年度までの職場は、一応あったけど、完全に形骸化されていました。
初めて真面目な教員評価を受けて、頭の中が混乱しています。
(正確には、上半期の評価でも混乱したので、2回目ですが。)
いろいろ数字が並べてあるけど、その根拠が分からない。
アドバイス欄のコメントが的はずれ。
私はダメなのか?

そもそも我が子と同じで、ゼロサム思考に陥りがちな私。
学生時代の通知票のように、評価の範囲が限定されていて、たとえばテストの点とリンクしているなら、全く問題ないのですが。
基準が不明確で、満点が5なのは分かるけど、では3や4の意味するところは何なのか、そこら辺が分からないため、不安になってしまいました。
先日、生徒指導をめぐって、管理職にたてついたしなぁ。
皆さん、こういうのを頂いたとき、どのように過ごしていらっしゃるのでしょうか。
このような評価をすることで、教員の士気は上がるとは思えないのですが。
(私のようにいちいち眠れなくなる教員も珍しいのかもしれませんが。)

昨年度まで、最先端と言われる授業をたくさん見てきました。
研究授業だけでなく、連続ものの普段の授業も見せてもらいました。
見ていても、意味が全く分からないものもありました。
ところが、今年度の途中になって、意味が分からなかったものの一つがスーッと腑に落ちる瞬間がきました。
今、それを自分の実践に落とし込んでいるところです。
生徒は明らかに変わりました。
でも、その授業を見たところで、管理職には分からないと思うのです。
以前の私のように。

生徒の授業評価も、そろそろあるはずです。
そこで良い値が出ればいいのですが、おそらく無理でしょう。
上半期の評価を見ると、簡単な問題演習しかしない授業は評価が高くて、そこそこのハードルを与える授業への評価は低めでした。
設問がそもそも、教師が分かりやすく説明する授業を前提に作ってあるので、アクティブラーニングを中心に設計した授業には馴染みません。
(一応、アクティブラーニングに対応した設問に見せかけてありますが、それは単に「アクティブに見える授業」かどうかをはかる設問なので、ピントがずれています。)

今年度、校内研究授業を引き受けましたが、失敗したと思ったのは、今までと違って、見に来る先生が専門外の人たちだということでした。
研究授業というより、ショーをやらなければならなかったのね、と反省しているところです。

今の環境はぬるく、だからこそ思った通りの実践ができているのですが、評価として中途半端なものを提示されると、途端に落ち込んでしまいます。
(管理職もこんなものを全職員分作るのは大変だろうな、おつかれ、とは思ってます。)


家族の近況です。
発達障害の小5男児は、早くも反抗期に入ったのか、家の壁や電灯を壊し、ババアと暴言を吐く日々です。
でも、私との関係は良好です。
学校で暴れる生徒たちと大差ないですし。
息子の行動よりも、それにピントがずれた過剰反応の夫に疲れます。
もっとも、夫には、子どもの成長を促すような対応ができないなら出て行ってくれ、と言えるようになったので、気は楽です。
夫は行くところはありませんし、今のところ、出て行く気配はありません。

下の子は、いつのまにか大きくなっています。
手が回っていません。
おそらく何かやらかしているのだとは思いますが、耳に入ってこないことをいいことに、放っておいています。
今年は新卒2年目の臨時採用の先生が担任です。
ということは、うちの子は大きく目をつけられているわけではないのだろうと、タカをくくっています。

発達障害が疑われる義母は、病院がらみで騒動を起こし、対処したところです。
私よりずっと以前から義母を知っている外科医が、もうダメです、同じ病院の精神科を受診してもらいます、と電話口で言っていましたが、もう少しのところで義母に逃げられてしまいました。
お金だけ払って、謝っときました。

義母については、市役所の福祉課からも連絡があったようですが、夫と義姉が無視しています。
さっさと私に回してくれれば良いのに。
事が大きくなってから回ってくるので、毎度のことですが、なかなか大変です。

私の実母は、適度に健康食品のねずみ講に騙されながら、ご機嫌に過ごしています。
ねずみ講の商品は買うけど、売る方はやってないようです。


眠れなくて、長文になりました。
いつか、お暇なときに、簡単なお返事をいただけると幸いです。



[559] 応報はすでに決している

投稿者: SuperT 投稿日:2018年10月 7日(日)14時26分53秒   通報   返信・引用

 私は記憶力に難があることもあってか昔のことはさっぱり想わない性質でした。いやなことも一晩眠れば、少なくとも感情的な部分は克服することができました。遠い将来を見据えてその日のためにというタイプでもありませんので、基本的にはその日その日を、丁寧にまじめに歩んできたという感じです。

 ところが60歳を過ぎて職場を離れてから、考える時間ができたせいか多くの人たちと触れ合うことがなくなったためか、ときどきフラッシュバックのごとく昔のことがよみがえる――しかも嫌なことばかりが思い出される、そういうことがあるのです。

 あの時ああしておけばあの子に嫌な思いをさせせずに済んだとか、こんなふうに早めに手を打っておけば悲しい思いをさせずに済んだとか、同僚に迷惑をかけたとか、辛い思いをさせたとかいったことです。
 もう取り返しがつかないことですし、そのうちのいくつかはその時点で償いを澄ませてあるものですが。

 私だって悪いことばかりをしてきたわけではなく、人に楽しい思いや良い思いをさせたことはありますし、誇っていい多少の手柄もあるはずなのに、そういったことは一切思い出しません。どうしてなのでしょう?

 燃え尽き症候群なのか変種の5月病なのか、はたまた精神的更年期なのかそれは分からないのですが、これまで生きてくる上で使ってきた人生のいくつかの方略が、今全く使えないことと関係しているのかもしれません。

 思えば社会人として家庭人として、いつでもどの時点でも、「~までは」「~になったら」とお尻を区切ってものごとを考えることができました。
 担当のクラスが変わるまで、生徒が卒業するまでは、次に転任するまでは、あるいは自分の子どもが中学校に入学するまでは、大学に入るまでは、就職するまでは、といった具合です。
 ところが「定年退職するまでは」はが終わった後は、これと言った区切りがないのです。

 もちろん「死ぬまでには」は大きな命題です。ただし困ったことにこれが区切りとしてはまったく不鮮明で、明日ではないにしても数年先かもしれなければ30年先だということだってあります。30年と言えば私が教職にあった年数、そして妻と結婚してからの年数と同じです。
 5年後に死ぬのと30年後に死ぬのとでは全く意味が違います。

 いつだったか娘が何かで読んだ本の中にこんな老人の話があったそうです。
「定年退職したときにふと思ったのは、バイオリンを習いたいということだった。しかしその年で習い始めても果たしてものになるかどうか――そう思ってやめたが今年90歳、あのときバイオリンを習っていれば30年のベテラン奏者。よもや何も弾けないということもなかったろうに――」


傍若無人先生のお話は、人間が幼児期に受けた養育・教育がいかにその子の人生を決定づけるか、重いか、そういうものとして伺いました。
 しかしお父さまもお母さまもその報いを全く受けなかったというわけではありませんよね。

 何より傍若無人先生は同じ教育を自らのお子さんにしなかった、まったく別の教育をしてそれに成功された――お嬢さんたちは祖父母から精神的な何ものも受け継がず、その人たちの影響から自由に成長され、望む人生を手に入れた――それこそが先生のお父さまやお母さまが受けた最大の報いです。

 私は自分の子育てがうまくいったかどうかは孫の姿を見なければ分からないと思ってきました。
私の二人の子どもは、もちろん思うようには育ちませんでしたが、私の願う範囲内の生き方をしてくれています。しかし二人の子育てが私の願うものとまったく異なっていたら、親としての私は何を見せてきたのか、ということになります。

 孫はまだ三歳ですのでこの先どうなるかわかりませんが、私が親としてそこそこの仕事をしたと証明してくれるような子に育ってほしいものです。難しいことではありません。素直で、普通の日常を楽しめるような子であればいいのです。

 先生も大変な人生を歩んでこられたようですが、むしろ厄介なのはこれからで、長い長い(ことになるかもしれない)人生の晩年を、どう過ごしていくか、一緒に考えていきましょう。



[558] 目黒幼女虐待死事件

投稿者: 傍若無人 投稿日:2018年10月 4日(木)14時00分22秒   通報   返信・引用

厚生労働省専門委員会の検証結果に関する報告書が出てきました。
6月15日付「アフターフェア」に思うところがあって書いています。
あくまで報道として扱おうとした女性キャスターが,
ニュース原稿を読むうちに耐えられなくなり,絶句してしまったという,あの事件です。

子どもは親を選ぶことも,育つ環境も選ぶことはできません。
彼女は,自分が生きるためにひらがなを覚え,お風呂の掃除をしました。
凍傷ができるような場所で放置され,
最後は,食べ物を受け付けなくなるまで衰弱し,息絶えました。

生活に困窮し,着るものも住むところも食べるものもない。
そういう子どもがいっぱいいる時代が,日本にも確かにありました。
しかし,そういう貧しさとは縁遠いはずのところで,
こういうことが起こって,ロウソクが燃え尽きるように命が消える。
親の期待に添えない子どもが,親に存在を認めてもらえない子どもが,
親以外の大人からの庇護を求めて,今,児童相談所にいます。

そういう親の「期待」って何でしょう。
親がなし得なかった夢を子どもに求めるという話は昔からあるし,
何とか理解もできなくはない。
でも,目黒の子はそうじゃないでしょう。
そういう親が望むのは,他の子どもよりずっと「できる」子どもです。
大手スーパーのプライベートブランドじゃなくて,
国内で長く堅い仕事をしているブランドでもなくて,
ルイ・ヴィトンやらコーチやら(他は知らない)の海外有名ブランドのバッグを持ち,
それを見せびらかして電車に乗るって感覚でしょう。
彼らが二言目にはいうことば,「あなたのことを思ってやっている(言っている)」。
嘘をつけ,自分のために強要しているだけ,お為ごかしだ。
子どもというのは,生きて成長して大人になって,自分の人生を歩いていくもの。
そういう親にはそんな概念はありません。

娘に勧められて聴いた大塚愛の曲の中に,「人形」という作品があります。

歌詞:http://j-lyric.net/artist/a00061d/l014ad3.html

私は男で,女の子であることを望まれたところがちがいますが,
この歌詞の通りの子ども時代でした。
古典マニアの母が望んだのは,上品でしとやかな貴族のような女性,
男に生まれてしまった私には,光源氏のようなたおやかな男性です。
私は,スカートこそはいていませんでしたが,女の子の格好をしていました。
それを揶揄する同級生もいましたが,
私にとってはそれが普通で,それ以外は知りません。
なぜそういうことを言われるのか分からず,
それが原因でケンカになったりしました。
でも,光源氏は取っ組み合いなんかしないでしょうから,
いつも,もめ事があれば「オマエが悪い」と言われました。
そうこうするうちに,私の落ち度は両親に筒抜けになり,
時には,私が関係していないことまで私が悪いことになっていきました。
まわりの大人たちは面白かっただろうと思います。
何かトラブルがあれば必ず過剰反応をする私の両親に,
「親切心」で「報告」し,「忠告」すれば,
その日の夜は,必ず子どもの泣き声が聞こえてくるのですから。

成長し,思春期になって筋肉がついて行く私の身体を見て,
母は「こって牛」と悪態をつきました。
父は私を医師か弁護士にしたかったようです。
残念ながら,私にはそんな能力もなければ,そもそも関心さえなかったのです。
私が望んだそれ以外の未来は,ことごとく潰されました。

だからと言って,両親は私に何も手を尽くさなかったのではありません。
私に家庭教師までつけて,勉強させました。
悪い点数をとっては罵倒され,勉強を嫌がったら殴られました。
自分のためでない勉強が身につくはずもなく,
私は大学附属校にも公立トップ校にも行けず,両親の期待を裏切りました。
あれだけ「してやった」のに,オマエはダメだ。
「してやった」のにうまくいかないのは,オマエが悪いからだ。
何かにつけて父の口から出てくる「してやった」という単語,
今でもそのことばを聞く度に背中一面に鳥肌が立つほど嫌悪します。

虐待されている子どもは,親が大好きである。
親に気に入られるように努力する。
親ともめることを恐れて,親の顔色を見て動くようになる。
そんな酷い目に遭っているのにおかしいじゃないかという人もいますが,
実際,そのとおりなんです。
目黒の女の子,きっとお母さんが大好きだったのでしょう。
そして本当は,新しいお父さんにも気に入られたかったのでしょう。

通勤途中のクルマの中で初めて「人形」を聴いたとき,
人が見ていないことをいいことに号泣してしまいました。
自分も女の子に生まれたら,こんな人生を送ったのではないか,と。
そして幸いなことに,私が泣き叫ぶのを聞きとがめる人が近くにいて,
両親が他人に「落ち度」を指摘をされることを「恥」と考える人だったので,
私は死なずに済んだのではないのか,と。

うすうす自分の生き方に疑問を持っていた私に
「それはおかしい」
とはっきり指摘したのは亡妻です。
だから,両親にとって亡妻は悪い嫁です。
私たちは二人の娘たちに,
「自分のことは自分で決めろ」
「(亡妻)働かざる者食うべからず=(私)自分が望むことなら,闘って勝ち取れ」
と,徹底的に躾けました。
もちろん,紆余曲折も挫折もありましたが(フォローに回った親は大変やった),
今は二人が望んだように,電機メーカーでエンジニアとして働いています。

母は3年前に亡くなり,父は人生の終末を病院で過ごしています。
60歳を過ぎて,ようやく私は自由になれる日を迎えます。
一人になってしまったのは大誤算ですが,
誰の目を気にすることなく,世の中から退場する日を待とうと思います。



[556] 傍若無人先生、お世話になります。

投稿者: SuperT 投稿日:2017年12月31日(日)15時28分26秒   通報   返信・引用

 大晦日の先生の書き込みは恒例ですので、「待ってたホイ!」みたいな軽い気持ちで読み始めて、内容のあまりの重さに言葉を失っています。
 苦労されましたね。

現在の私は、日中こそ会話を交わす相手がいないものの、夕方には妻が帰ってきて話を聞き、夜は一人暮らしの母のところでまた愚痴を聞く毎日です。
 私は愚痴ることはありませんが、そんなふうに夜を人と語り合いながら過ごす毎日が、精神衛生に悪かろうはずがありません。ひとは一日の終わりにきちんとその日を清算し、翌日に備えるべきです。
その夜が“ひとり”、というのはやはりシンドイですよね。

具体的に何かが提案できるわけではありませんが、状況が少しでも改善するよう、心からお祈り申し上げます。
2018年が傍若無人先生にとって、気持ちの落ち着く、穏やかな年であるといいですね。


 追伸
 修学旅行等の持ち出し、もちろんしたことがあります。
 児童・生徒数の少ない学校で、全校の先生たちに卒業文集や生徒会誌を買い取ってもらい、それで一冊分を安くしあげているといったこともよくあります。
 PTA研修旅行なんて、ホントは行きたくないのですがね。

 しかしそうしたことも、世間の人には理解できないかもしれませんね。義務教育の教員が給食費を払っているというと、それだけで驚かれたりしますから。



[555] 今年もお世話になりました

投稿者: 傍若無人 投稿日:2017年12月31日(日)12時11分35秒   通報   返信・引用

今日で2017年も終わりです。
私,傍若無人にとりましては,
子ども時代にはしかで一度,インフルエンザで一度死に損なって以来の
波瀾万丈の一年でありました。

実は,今まで少々フェイクを入れておりましたが,
今年の3月末日をもちまして,田舎県高校教員を辞める予定でした。
ところが,2016年12月下旬に妻のガン再発が発覚。
あれよあれよという間に進行し,今年の松の内の間に息を引き取りました。

一周忌は遅れてはいけないということで,
先日,法要を行いました。
しかし,妻の死をまだ受け入れることができません。

子どもたちは自分の部屋があるのに居間に居り浸り,
たまに来るお客様は,座敷こたつに足を突っ込んで帰らない。
そんな居心地のよい家を作ってきた家内がいなくなり,
子どもたちも独立して家を出ていき,
残っているのは犬と私だけになりました。

今は,子どもたちの足を引っ張らないの一念で生活しています。
早めに仕事を辞めて妻と人生を楽しむ計画は全て頓挫。
自分の生活のために再任用で働いていますが,
生き甲斐がなくなった今,
以前の仕事のレベルには到底及ばない状態です。
自分でいうのもなんですが,かなり深刻な鬱だと思います。
でも,勤務校には特休を取るタイミングを計っている鬱の先客が2人いて,
再任用の傍若無人はそれを言い出す隙がなく…。

基本的に引きこもっているので吐き出す先がなくて,
無駄にスペースをとりました。
すみません。

さて,アフター・フェアで,ST先生は給食指導のことを取り上げました。
食い意地の張った傍若無人は,食べることを主題に今年の最後を飾ります。

言いたいのは修学旅行です。
他の県はどうなんでしょうか。
田舎県は出張旅費が削減に次ぐ削減で,
修学旅行に行くと,教員はその旅費が支給額では足りず,持ち出しになります。
ここ5年間で修学旅行は3回行きましたが,持ち出し額は徐々に増加。
今年は7千円近くを自己負担する見込です。
原因は食費です。
「出張に行ってもいかなくても,食べるのは一緒やろ」
とは県の言い分ですが,ちょっと待たんね。
あんな脂ぎった飯にカネを出せってか?

某ホテルのオカズは今でも全部言えます。
コロッケ,唐揚げ,いかのリング,ソーセージ,揚げシューマイ,
豚肉の炒め物とフライドポテトになぜかカレー。
茶色でなかったのは,
肉のかさを増すために下に敷いてあったタマネギの薄緑だけ。
どう見ても2500円飲み放題付きが,4400円やで。
この時のA学年主任は,身体は大きいけど温厚な方で,
教員も生徒もA先生が声を荒げるのは見たことがありません。
その穏やかなA先生がこのオカズに激昂。
添乗員をホテルの玄関ロビーに呼びつけて革靴のまま正座させ,
通りかかった生徒が小走りに逃げ出すような剣幕で怒鳴りつけるという事態に。
旅行業界に詳しい傍若無人が顔色をなくすフロントを,
「まあ,まあ。あとでちゃんと事情を説明してあげて下さいね」
となだめるという事態になりました。
ところがこの翌日,学校ではPTAの研修旅行になっていて,
このオカズの写真がPTA役員宅に送られていたから,さあ大変。
「ウチの子どもに,一体何を食わせとるんじゃ!」
怒った保護者が事情を知らない管理職に,
スマホを突きつけて噛みつくという事態になりました。

まあ,こんなに極端なのは例外としても,だいたい事情は変わらんと思います。
体調を崩した生徒の看病をしている間に飯抜きになった経験は,
担任をしていたら必ず一度や二度はあるでしょうが,
そんな心配は誰もしてくれないでしょう。

私たち教員の労働は無料,持ち出しもやむなしという認識,
そろそろ何とかしないといけないと思います。
「教職公務員はサービス業」
と言いたいのなら,約款を決めましょう。
そして,契約外の仕事には拒否する権利を持ち,
どうしてもやるのなら,きちんと報酬を求めましょう。
「約款を決めたら責任を取らされる」
と二の足を踏む人がいますが,それはオマエが仕事をしとらん証拠じゃ。
今の状態では,仕事の範囲をその時の都合に合わせて勝手に決められて,
不都合(保護者が気に食わないこと)が起こったら責任を追及されとるやんか。
(常識的に)教員の仕事でないことで助けてもらうと保護者が助かることが多いが,
それが大きなお世話とデカい声で言われるのが昨今です。

ボリュームが大きい我々世代が学校を去り始め,若い先生が増えてきました。
勤務校にも二〇代前半の先生が6人います。
担任を持って,保護者対応に疲れている人がいます(彼女も鬱候補!)。
傍若無人は,自分の子どもたちには教員免許さえ取らせませんでした。

工場勤務のウチの子どもたちがアフター5を楽しんでいるのを見て思います。

「辞めるんなら,今のうちだぜ…」

ST先生ならびに読者の皆さま,今年もお世話になりました。
よいお年を。
まだまだヘコんでいる傍若無人ですが,何とか生きていきます。



[554] ネル先生、お久しぶり。

投稿者: SuperT 投稿日:2017年 3月 7日(火)15時14分57秒   通報   返信・引用

 昔は私の主戦場だったBBS、ここ何年もすっかり枯れてしまい、たまに書き込みがあったりすると妙に緊張して、それで返事がおくれました(と、とりあえず言い訳)。

 それとともに早一年余り、家族以外と会話をする機会もずいぶん減ってそれでうまく返事ができなくなっている、ということもあるかもしれません。

 私の日々は晴耕雨読、とは言っても今は農閑期なので晴読雨読、晴れの日も雨の日も引きこもっております。しかしそれなりに忙しく、現在の家に引っ越して20数年、その間ものの整理はほとんどせず、あるものを奥へ奥へと突っ込んできましたので、それを出して出して整理して処分してと、そんなことをしているうちに一年があっという間にたとうとしています。

 今でも現場の先生のお話をうかがうと少々血の沸く感じがあり、生き生きと働いていたころのことが思い出されます。生徒指導と教科指導が好きだと、中学校の現場は天国みたいなところです。私は教員になっていなければ漁師になっていた人間なので、波と戦って魚と戦って釣果を挙げて帰ってくるというのは性に合っているのです(ホントのことを言うと漁師町の人間でもなければ釣りも息子と少々やった程度で趣味ですらなかったので、「漁師になっていた」も単なる比喩表現ですが)。
 40歳代というのはそういうときで、人生の中でも一番豊かな時期です。さらに言えば私は「子育て」が最大の趣味でしたので、その意味でも一番楽しく、面白い時代でした。

 その二人の子も今では成人してしまい、一人はまだ学生ですが心配しても手も伸ばせず、親と言うよりは単なる金ずるに身を落としてしまいましたからさっぱり面白くない。
 孫の成長は楽しみとは言え「遠くの孫より近くの猫」(←これ、私の知り合いの名言です)、かまったり遊んでやったりの機会も少ないので生きる励みとはなっていません。
 やはり苦しくとも仕事があり、責任があって力の発揮できる場があることはいいことです。

>私と同じように自分で勝手に勉強すれば?そうでないと身につかないわよ。
 それはそうですが、マアそんなことはおっしゃらず、面倒を見てやってください。「私と同じように自分で勝手に勉強」できる子はむしろ少ないのです。

 私たちが通常「勉強」と呼んでいるものは中国では「学習」と言うのだそうです。「勉強」と言うのは読んで字のごとく「強いて勉める」こと「いやいや行う」ことを言うみたいです。
 さまざまな文化が中国から伝わってきた千数百年前の学生にとっても、学習はいやいやするものであってそこから「学習」と「勉強」が混同されたのでしょう。

 小学校はもちろん、中学校でも生きていくうえで最低限必要な(ないとあまりにもカッコウの悪い)知識・技能と言うものがあります。
「薬品というのは無闇に混ぜるものじゃない、それはトイレ掃除をする時も大切だ」とか、
「『桶狭間』というのは古くなってタガが緩んだためにできる桶板の隙間のことじゃない」とか、
「方程式というのは分からない数をxやyで表した式のことで、計算していくと最後にはそのxやyが分かるようになっている」とか、
 その程度の知識が残っていないと場合によってはひどい目に遭います。そしてその程度の知識を残すために、あんなにたくさん勉強しなくてはならないのです。なにしろ私たちは使わない知識の8割以上を忘れてしまうのですから。
 と上から目線で言っているようですが、実は下から見上げているのです。何やかや言っても、「やはり苦しくとも仕事があり、責任があって力の発揮できる場があることはいいこと」なのですから。

 何か書いているうちに寂しくなってきました。
 最初に、
「今でも現場の先生のお話をうかがうと少々血の沸く感じがあり、生き生きと働いていたころのことが思い出されます」
と書きましたが、実はそれは「現場の先生のお話をうかがうと」という条件付きでの話で、何の脈絡もなく、ふと思い出す昔のことはほとんどすべて「失敗したこと」「他人に嫌な思いをさせたこと」「怒られたり叱られたりしたこと」ばかりなのです。

 私はどんな嫌なことがあっても、一晩寝ると忘れられることを強みに生きてきた人間です(記憶力が弱いだけなのかもしれない)。ですからそれぞれの事件・事故の渦中にあったときはほとんど苦しんでいなかったのに、反省や後悔をしなかったぶん、今になって浮かび上がってくるのかもしれません。本当はいい仕事も役立つ仕事もたくさんしてきたはずなのに、ほとんど思い出せないのです。どうしてでしょう?
 嫌なことですね。

 まだずいぶん先のことですが将来、ネル先生は現在のご自分のことをどんなふうに思い出されるのでしょう? 遠いいつか、またその話もしましょう。

 上のお子さん、中学受験とか。
 勉強は最後の砦で最後のハードルです。
 非行の子も不登校の子も、勉強のできる子は最後で何とかなる。しかし勉強の全くできない子はそれが大きなハードルとなって最後に立ちはだかる――「だから非行少年や不登校の子こそ勉強しなくちゃいけない」という非現実的なことをいつも考えていました。

 せっかく勧められているのですから精一杯勉強――じゃなくて「学習」させ、プロフェッショナルの道を歩ませるのがいいのかもしれませんね。

 またご連絡ください。いつでも気にしています。




[553] 近況報告

投稿者: ネル 投稿日:2017年 3月 1日(水)02時12分38秒   通報   返信・引用

SuperT先生

ご無沙汰しています。
お元気ですか?

私は何とかやっています。
昨年度は私立高校の先生と一緒に仕事をすることが多かったのですが、今年度は一転、公立中学の先生との縁が深く、いろいろと興味深いです。

先生個人の性格もあるのでしょうが、生徒指導に関して、同じ公立でも、中学と高校とでは、こんなに違うものかと驚きました。
全然、発想が違いました。
彼らには、生徒に考えさせるという発想がほとんどなく、「先生がルール」でした。
選抜試験を経ていない10代前半の集団を動かそうと思うと、そうならざるを得ないのかもしれません。

授業について、中学は高校とはずいぶんスピードが異なり、興味深く感じました。
1つの事象にゆっくりじっくり取り組めることには、正直言って羨ましく思いました。
1つ1つを教師が積み上げてあげているイメージを持ちました。
私の中では、高校は、たくさんの概念を生徒自身が一度に積み上げて行かなくては、到底間に合わないというイメージです。
中学は面白いぞと思いました。
授業の実践研究も、圧倒的に中学の方が多いです。

このように書くと、「生徒指導より授業」という気分でいるように見えますが、実のところは、自分は圧倒的に生徒指導の方が好きなのだと感じています。
生徒指導に関しては、こちらでお世話になったり、有能な先輩方からご指導いただいて、それなりに自分の中に信念のようなものが形成されています。
一方で、学校の先生になったくせに、授業することは嫌いみたいです。
自分が勉強することは楽しいけれど、他人が勉強することには関心が薄いというか、どこかで「私と同じように自分で勝手に勉強すれば?そうでないと身につかないわよ。先生がどうかなんて関係ないわ。先生から引き出すのも生徒の力量よ」と思ってしまう自分がいます。
高大接続が問題になっていますが、そもそも20歳弱の一度しか大学に行くチャンスが実質的にはないことが問題で、社会人のアクセスを良くすれば大部分は解決すると考えているので、ほとんど噛み合いません。
ほとんど、自分の生き方がそのまま反映された考え方です。
しかし、自分の中高時代のこと、自分が社会人学生として短期留学したことや文系大学を卒業したこと、WEBサイトを運営していたことなどは口にしていないので、自分の考えを口にする機会はほとんどありません。

日々、苦手な仕事ばかりしていて、早くこの環境から脱出したいと思っています。
一方で、どっちにしろ私たち40代が極端に少ない現状を考えると、一教師としてのんびりさせてはもらえないのだろうと思うと、大変憂鬱です。
先輩方のように、一部の能力ある人たちが出世競争をし、それに興味がない人たちは一教師としてこぢんまりとやっていけるのだと思っていました。


別件ですが、我が子たちは、二人とも元気です。
下の子もいよいよ小学生。
支えてやらなければと思うのですが、なかなか時間も心も余裕がありません。
就学相談は、上の子の時に意味がなかったと感じたので、今回はしませんでした。
上の子は、療育センターの勧めもあり、中学受験させることにしました。
どうなることやら。



[552] 傍若無人先生

投稿者: SuperT 投稿日:2016年12月31日(土)23時14分51秒   通報   返信・引用   編集済

 つい数日前、12月28日の記者会見で電通の石井直社長は、
「電通の企業風土をどうみているか」という記者質問に対し、
「社員のプロ意識が強く、120%の成果を求め、仕事は断らない。そのすべてが過剰だった」
という意味の内容を答えています。
 その上で、
「歯止めがかけられなかったのは経営側に責任がある」
と語っていますが、学校の経営者(教委や学校管理職)は歯止めをかけようともしていません。
「プロ意識が強く、120%の成果を求め、仕事は断らない」
は学校の先生たちもそうですよね。
しかも電通は私が「ああ言えばこう言う辞典」のCMを2000円で打ってくれと言ったら絶対に断るのに対し、学校はすべての仕事を断りません。なぜなら要求されるものが金に換算できない「子どもの学力を上げろ」とか「道徳性を高めろ」とかいったものばかりだからです。
「はい、がんばります」
と言って本気で頑張ってしまうのが今の日本の学校教師なのです。
その上で、さて、行きつくところまで行きつめた先生たちの果ては、自殺と不祥事とちらがいいのでしょう?
なにか絶望的な二者択一ですよね。
そこまで行きつめないように、お互いに見守っていくしかありません。
教師を見守ってくれるのは教師しかいないのかもしれないのです。

2017年、それでも頑張りましょう。
良いお年を。



[551] 学校が壊れゆくとき

投稿者: 傍若無人  投稿日:2016年12月31日(土)16時44分0秒   通報   返信・引用

こんにちは。
皆様,お変わりございませんか。

例年,大晦日あたりにつべこべと愚痴をたれる傍若無人ですが,
今年はホンマにたまっとります。
ここに書く全てが新聞記事になっているので,
身バレを恐れて,一部フェイクが入ります。
不愉快なら聞き流していただいて結構ですが,
他に言うところがないので(自己都合)…

昨年あたりから管理職のありように文句を言っている傍若無人ですが,
あきれてモノが言えん状況になっとります。

昨年末の大事件で,勤務校は付近の中学校の支持をすっかり失いました。
すぐにでも大勢が出願してくる中学校に管理職が出向き,
状況説明をしなければならんところでした。
なぜなら,学校の責任でない部分が多かったからです。
しかも,荒れた中学校区では塾頼みの生徒が多いので,
塾回りもせんといかんやった。

でも,なぁ~んにもせんやった。

大事件のあとの失地回復に,教員が努力せんといかんことぐらいはわかってます。
ところが,アカの他人から言いがかりに近いような苦情の電話やら,
保護者アンケートに無理無体が書いてあったりしたら,もう大変。
その全てに過剰反応して騒ぎだし,
「担当者」ということで,ヒラの教員を苦情の矢面に立たせます。
そうこうするうちに、今度は若いA教員が不祥事を起こしてしまいました。
決して弁護したり,かばうことができない事件でしたが,
そのA教員はその右往左往にこき使われていた人でした。

で,学期末です。
息巻いて管理職に逆らうようなコドモはいませんが,
(いたんだけど,もう何も言わなくなってしまった)
誰もが全く学校運営というものに協力しなくなっています。

何をどう思いついたのか,
「校内の清掃をする」
と言い出して,突然土曜日に窓磨きのため休日出勤を募り,
学期末の書類整理にみんなが走り回っているところで,床磨きを始める。
しかし,生徒指導も成績不振者への指導はしない。
もう,誰も協力しないし,気も遣いません。

傍若無人は新採用の教員に言いました。
「見ててごらん。学校が壊れていくところだから」

彼らは5年以内に転勤していきます。
経験を積んだ彼らが学校の中枢に入るとき,
二の轍を踏まなければいいのですから。

傍若無人は今,家族に重病人を抱えています。
先行きは明るくありませんが,
本人はよれよれになりながらも,戦闘意欲十分。
生徒にも,自分の子どもたちにも,
「振り返るな,立ち止まるな。闘え」
と教えている傍若無人です。
ここはひとつ,頑張らなきゃならん。

今年もありがとうございました。
よいお年をお迎えください。



[550] 皆さま

投稿者: SuperT 投稿日:2016年12月16日(金)10時52分38秒   通報   返信・引用

BBSというのもずいぶん廃ってしまいました。かつては私の主戦場でしたが、今は休眠状態です。
そんなおりにプレミア版の更新時期となりましたので、私としては無料版に戻したいと思います(広告が出て、過去ログの量が減るだけみたいです)。
1月を終えますと、過去ログのうちの多くが削除となります。
必要な方は、今のうちに保存しておくようにしてください。そのために1ページに50スレッドが表示できるようにしてあります。



[549] SuperT先生

投稿者: ネル 投稿日:2016年 1月12日(火)00時09分56秒   通報   返信・引用

SuperT先生

なかなか連絡せずに,ご心配をおかけしました。
普段から筆が遅いのに,とにかく尋常な精神状態ではなく,まとまった文章を書く気が起こらなかったのです。
すみません。

「うまく行かないのは加齢のせい」については気にしてません。
そもそも,「うまくいかないのは発達障害のせい」と書いたつもりはなくて,発達障害かもしれないという不安と並列に書いたつもりだったのに,うまく表現できていなかったな,と思っただけです。
文字だけのやり取りは難しいですね。


>  結論の出るような話ではありません。ただし話しているうちに分かったことは,私たちがともに「発達障害の人が増えている」という印象を共有しているということです。それだけは間違いないでしょう。

本当にそうですね。
私の周りでは,食品添加物説をとなえる人もいます。
私は,発達障害の人も子孫を残しやすい世の中になったからだと思っていたりします。
結論は出ませんね。



>  典型的なADHDとかアスペルガーとかいった人の数は昔も今も変わりないのですが,グレーゾーンだったり変形型や重複型,あるいは症状が別のかたちで出ていたものの一切を,私たちが「発達障害」というくくりでひとつのものとしてみるようになったからかもしれません。

名前がついたことで,存在が感じられるようになった,というのは間違いなさそうですね。
保護者世代は「昔の子ども」であるはずだけど,やはり増えている印象を受けますから。


> ただし先生の見立てが正しければ,発達障害の家族の許で育った子ということにはなります。そういう意味では何らかの影響は受けているのかもしれないとも思えます。

> 何といっても家庭の中に非常な困難を抱えた人がいると家族全体にバイアスがかかってくるからです。(略)すると構成員の社会に対する処し方も少し違ってくるのかもしれません。ただしそれはもちろん障害ではないのです。

私は,T先生に指摘されるまで,人の心を裏読みするのは当然のことだと思っていました。
母が必死になって教えたからです。
以前にも書いたことがあるかもしれませんが,
・自分の考えは間違っていると思え。自分はだめな人間だから,他の人の判断を待って行動しようという心構えでいなさい。
・人の言うことを真に受けてはいけない。必ず,その人がどのように考えているのか,裏を読みなさい。
という調子で仕込まれてきましたから,窮屈で仕方ありません。

もっとも,自閉はなくても,多少のADHDはあるかもしれません。
昔からぼけーっとした子どもでした。
ただ,その可能性を考えても,ちっとも心が乱れません。
なぜでしょうね。


> ひとりでたくさんのものを抱えていますね。それはとても無理です。今でもたくさんのネットワークをお持ちでしょうが、今年はさらにそれを広げていく必要があるかもしれません。

大したネットワークは持ち合わせていません。
どうすれば楽になるのか,ゆっくり考えたいと思います。
(仕事が大変で,考えるヒマがないのですが・・・。)



[548] ネル様

投稿者: SuperT 投稿日:2016年 1月 8日(金)11時32分1秒   通報   返信・引用

 お久しぶり。今年もよろしくお願いします。
 そして書き込みありがとうございました。
 前回の書き込みから半年以上、まったくお話がないのであの時のお返事に「うまく行かないのは加齢のせい」などと書いたのを怒っておられるのではないかと苦にしていました。
 これからも余計なことを言うかもしれませんが他意はありません、どうかよろしくお願いします。

 さて、
「それにしても,以前に比べて発達障害の人が増えているような気がします」
とおっしゃる件。これについて私のとても尊敬する特別支援教育の教諭と話したことがあります。
 私はこんなふうに申し上げました。
「発達障害の割合は大昔も今も変わらないはずです。人類はそんなに簡単に進化も変化もしません。昔も周囲とうまく合わせられない、ちょっと風変わりな子はいたはずだけど、そういう子は小さなときから周囲に叩かれて、必死に学習させられてきたのです。どうしたら人を怒らせないか、どやったらうまくやりくりができるかって。
 けれど今は『そのままのキミでいいよ』って時代でしょ? いじめはもちろんケンカもいさかいも止められてしまう時代だから文字通り『そのまま」で大きくなってしまっている。学校だって『個性尊重』を強制されているから『人格矯正』のようなこともやらない。発達障害が増えてきたように見えるのはそのためです」
 しかしこの論法は相手の先生には受け入れられない者でした。いじめや体罰を是認しかねないというのも理由のひとつだったのかもしれません。
その先生の論はこうです。
「昔と今とでは子どもたちが受ける刺激の量が違うでしょ。テレビにマンガにインターネット。そうした刺激によって本来持っている困難な部分が増幅されてくるのです」
 結論の出るような話ではありません。ただし話しているうちに分かったことは、私たちがともに「発達障害の人が増えている」という印象を共有しているということです。それだけは間違いないでしょう。

 それともうひとつ。
 典型的なADHDとかアスペルガーとかいった人の数は昔も今も変わりないのですが、グレーゾーンだったり変形型や重複型、あるいは症状が別のかたちで出ていたものの一切を、私たちが「発達障害」というくくりでひとつのものとしてみるようになったからかもしれません。
 私はかつてどうにも解釈できないような小学校4年生の男の子に関わったとこがあります。その子の担任である特別支援学級の担任と一緒に、行為障害じゃないか愛着障害じゃないか、双極性うつじゃないか、単なるうつなのかと、あらゆる概念を持ち出して話をし続けたのです。
 診断の結果は、
「軽度発達障害、しかし症状は重い」
「軽度だけれど重い」はどう見ても形容矛盾なので改めて問い合わせると、
「障害としては軽いのだが、さまざまにいじられ、こねくり回され、いろいろされることによってその表に出るもの(症状)が重度になっている」
 という意味でした。今のわかりやすい言い方だと、「二次障害が重度」といったことです。

 しかし驚いたのは、改めて「この子は『軽度発達障害、しかし症状は重い』子なんだあ」と思ってみると、確かに鮮やかに発達障害なのです。行為障害だの双極性うつなどを持ち出したのがバカげていたように思えるほどの発達障害なのです。
「私たちが『発達障害』というくくりでひとつのものとしてみるようになったから」増えように見えるというのはそういう意味です。

 ちなみに今紹介した子は、医者や保護者や私たちの努力によって、その後、生活に大きな改善が見られました。やはり正しい診断って大切ですよね。発達障害と分かればそれなりの対応をすればいいのですから。
逆に言えばそれまでの私たちの努力は何だったのでしょう、ということになります。症状をこじらせていたのは私たち自身でもあるのです。

「何より,同僚が無駄に傷つかずに済むのは大きいような気がします」
まったくその通りです。そして多くの場合、保護者も本人も救われるのであって、私たちはもっと勉強しなくてはなりません。

さらにもうひとつ。
ネット上でのネル先生との付き合いはもう15年ほどにもなりますが、先生が発達障害などと感じたことは一度もありません。ただし先生の見立てが正しければ、発達障害の家族の許で育った子ということにはなります。そういう意味では何らかの影響は受けているのかもしれないとも思えます。
何といっても家庭の中に非常な困難を抱えた人がいると家族全体にバイアスがかかってくるからです。よく「学校ではとても難しいのに家庭では何の問題もない」ということがありますが、それはその家族が「その子仕様」になっているからで、不協和を起こさないように家庭自体が構築されているのです。すると構成員の社会に対する処し方も少し違ってくるのかもしれません。ただしそれはもちろん障害ではないのです。

ひとりでたくさんのものを抱えていますね。それはとても無理です。今でもたくさんのネットワークをお持ちでしょうが、今年はさらにそれを広げていく必要があるかもしれません。



[547] あけましておめでとうございます。

投稿者: ネル 投稿日:2016年 1月 3日(日)23時47分6秒   通報   返信・引用

今年もよろしくお願いします。

新しい職場も8カ月になりますが,まだ全然慣れません。
たぶんずっと慣れないだろうと思います。
秋には心身ともにかなりまずい状態になっていましたが,冬休みにリフレッシュし,久しぶりに人間らしい感覚を取り戻しました。
明日からまた仕事ですから,この感覚がいつまで続くかは分かりません。
それでも前の職場よりはマシだと思っているので,「帰らなければならない」という恐怖も私を余計にまずい状態に追いやっています。

> 現在の多くの学校は、異常な才能か異常な努力を前提にしない限り動かない仕組みになっています。

↑まさに前の職場がこのような感じで,みんな才能はありません(あったらよその業界に行く)から,異常な努力(=異常な残業量)で乗り切っていて,それを自慢しあうというおかしな学校でした。
定年にはまだ早いのですが,それでも指折り数え始めています。
何かのタイミングで辞めるかもしれません。

最近,私学の先生と仕事をすることも多く,私学のイメージがかなり変わりました。
なんとなく私学は教員がこき使われるイメージをもっていたのですが,コスト意識が高い分,(私がいた)公立のようにどこまでも無理な要求がなされるわけではなさそうです。
「選択と集中」が行われています。
集中するところがあれば,手薄になる(する)ところもはっきりしています。
どこも削りませんと言い張る公立より,よっぽど信用できそうです。
「我が子を(この地域の)公立には行かせたくないね」と,私と同じ境遇の人たちともよく話すようになりました。
教員(というより校長)の自己満足のために,子どもが犠牲にされかねないと危惧しています。
それまで(産休に入るまで)は,少なくとも県立高校は胸を張れると思っていたのですが,私が育休を取っている間におかしな方向に行ってしまったようです。
10年後にはまた変わるでしょうか。

子どもたちの近況報告です。
下の子の発達検査を2年半ぶりにしましたが,上の子の時のように顕著な結果は出ませんでした。
私自身は,この子にはっきり診断がつくようなら私も発達障害だろうと思っていたので,そこまでではないということは分かりました。
上の子は,小さいことはいろいろ起こっていて,久しぶりに発達障害専門の教室に通うことになったのですが,それも月一回程度です。
勉強はよくできるので,今のところ保たれています。

発達障害といえば,発達障害について勉強しておいてよかったことを書きます。
今の職場も学校ですので,保護者もいて,保護者に悩まされる教員もいます。
一度もお会いしたことのない保護者ですが,ある時,同僚の話を聞いていて,これは自閉症スペクトラムだろうとピンときました。(義母や実母とやってることが似ています。)
それから,状況はやや改善しつつあります。
何より,同僚が無駄に傷つかずに済むのは大きいような気がします。
ちなみにこの件,カウンセラーが間に入っています。
自閉症という指摘はされませんでしたが,なかなか良い仕事をされているようです。
優秀なカウンセラーなのでしょう。
このような方なら,間に入ってもらうのも悪くないと思いました。
ただし,このスタイルにするなら,旧来の日本の指導方法は転換をはかるべきだと思います。
学校(教師)の責任の範囲を明確にして,学校を一歩出たら責任はすべて保護者が負うという欧米型のスタンスでないと,このスタイルには意味がないように思います。
学校外の情報がもらえないのに,学校に責任を負うことはできません。
私は学校(自分の仕事)の負担を軽くしてもらって,我が子の責任をしっかり負いたいタイプなのでいいのですが,多くの保護者はそれで納得するのか,疑問が残ります。

それにしても,以前に比べて発達障害の人が増えているような気がします。
私のまわりだけでしょうか?



[546] 傍若無人先生、よろしくお願いします

投稿者: SuperT 投稿日:2016年 1月 1日(金)06時56分48秒   通報   返信・引用

 あけましておめでとうございます。
 本年もよろしくお願いします。

 さて、傍若無人先生。2015年も大変な年だったようで心からご同情申し上げます。高校は義務教育に比べると1校の職員数が多いのが普通ですが、それでも複数の休職となるとほかの先生が他の負担も半端ではなくなります。そしてなにより生徒に申し訳ない事態が続きます。
 しかし当の休職された先生にしても、そうした教職人生、そのような状況を目指して生きてきたわけはなく、ほんとうにお気の毒です。特に崖から落ちてまた崖を登り、その縁をしばらく歩いてはまた落ちてしまうような虚しい日々を送られている姿を見ると、衷心より、これはどうにかならなかったのかと強く感じます。
 どのような仕事であれ超人的な才能の超絶的な努力を前提としてはいけないのであって、普通の人間の日常的な努力を最低限に設定されるべきです。しかし現在の多くの学校は、異常な才能か異常な努力を前提にしない限り動かない仕組みになっています。
 しばしば教育庁や管理職はアホな提案をしたりしますが、それも基本的に打つ手がなくなってしまっているからでしょう。

 先日の新聞に、文科省が各校に専門家を配置する計画のあることが記されていました。しかし学校の外にいる教育の専門家というのが私は想定できませんし、心理の専門家や教育学の専門家が鮮やかに問題を解決していった例も見たことがありません。 やはり日々、児童生徒に接している現場の専門家=教師たちに期待するしかないのです。その先兵が潰れて行ってしまう。
 私は一時期、もっと先生たちが死ななければ学校社会はどうにもならないのではないかと思ったことがあります(そのころ、もう子育ての済んでいる副校長先生に「先生、いかがですか?」と勧めてずいぶんと嫌がられました)。しかしそんな無茶な話にせずとも、状況の改善は図られなくてはならないはずです。
 “教員が困っている”ということでは誰も動いてくれません。だったら担当教師が数か月も不在の状態があちこちで進行して生徒が困っているということを訴えていくべきかもしれません。今頃になってふと、そんなことを思いました。
「心の病気による休職者5000人超」という記事の背後には、教科担任がいないままに時を過ごしている数十倍の児童生徒がいる――こんな単純なことが問題にされてこなかった、それこそ問題なのかもしれません。

 傍若無人先生も退職がターゲットになってこられたとか。御身お気をつけくださるとともに、これからの学校をどうしていくか、新たな提案を続けてくださるとありがたいのですが。

 本年もよろしくお願いいたします。



[545] 来年もよろしく

投稿者: 傍若無人  投稿日:2015年12月31日(木)19時51分49秒   通報   返信・引用

「定年」という単語が身近になり,ますます勤労意欲がなくなっている傍若無人ですが,
皆様,如何お過ごしでしょうか。
二学期も終わりを迎えた頃に勤務先で大事件あり,年末のあれやらこれやらが全てぶっ飛びました。
大晦日のこの時間になって,ようやく一息ついています。

さて,傍若無人の勤務校の動静です。

傍若無人の勤務校は国語科B教諭(昨年末の書き込みと同じ人)の休職1で新年度が始まりました。
そのB教諭,2学期になって復職。
しかし,B教諭はここ数年にわたって,休職,復職を繰り返しています。
大丈夫かよ,と他人事に思っていた傍若無人ですが,よーく考えたら,傍若無人がトップの校務分掌やんか。
まじめが服を着て歩いているような人なので,仕事を全然回さないわけにもいかんし,
まさに,腫れ物を触っておりましたが,2週間でアウト。
9月に常勤講師を探したって,そんなもん,おらんよ。
それでも何とか1ヶ月かけて後釜を見つけたら,
今度は国語科のC教諭がぱたっと学校に来なくなり,そのまま休職。
10月に…(以下,同文)。
常勤講師がやってきたのは2学期の授業が終わってから,…って,役に立たん。
そこへ,先ほどの大事件発生。

毎年,複数の教員が休職に追い込まれるし,1年に2人亡くなったこともある。
スクールカウンセラーの世話になる生徒も,かき集めたらひとクラス近くおる。
食事も作ってもらえない生徒もおれば,
5時半に家に帰ってないと学校に苦情の電話をかけてくる親もおる。
親の過大な期待に押しつぶされている生徒もおれば,
「オマエはバカ」と親に言われてうつむくしかない生徒もいるのだ。

そんな中,管理職が取った対策が「服装指導の徹底」と「生徒心得の見直し」。
苦労している担任とカウンセラーをバカにしてるとしか思えん。

さて,3年生の受験勉強も佳境に入って参りました。
傍若無人は3年生を担当していませんが,クラブの関係で遅くまで学校におります。
すると,教室で勉強している3年生が質問にやってきます。
傍若無人は名前もクラスも知らん生徒ですが,アテにしてくれています。
…頑張らにゃならん。

今年は多忙を極め,ずっとROMでした。
来年はもうちょっと書き込めるようにします。
ST先生,よいお年をお迎えください。





[544] ネル様

投稿者: SuperT 投稿日:2015年 5月 2日(土)22時22分57秒   通報   返信・引用

 お久しぶりです。
 仕事を代わった4月、ほんとうに大変ですよね。小学校から小学校、中学から中学あるいは特別支援から特別支援といった転勤なら良いのですが、職場の形が大きく変わる4月はほんとうにシンドイ。
 私も中学校の教員になった時、小学校に異動したとき、管理職としての異動、そして(また改めて書きますが)今、職種が変わるたびにその4月は深刻でした。中でも中学から小学校に移った時は、同じ教職なのにこれほどと、ほんとうに大変だったのには驚かされました。
 さて、もう十分にご存知かと思いますが、「障害」と「病気」の決定的な違いは、前者が基本的には「治らない」ということです。身体障害を考えれば明らかですが、同じ車いす生活でも骨折の場合、いつかは離れることができます。したがって「骨折」は病気の仲間に入れられ障害の仲間に入れられることはありません。
 障害は、訓練や教育によって「より良く生活できるようになる」ことはあっても完全に状況を脱することはできません。そしてまた基本的に「より良くなることはあってもより悪くなることはない」というのも特徴としてあげられます。ですから知的障害は障害であり、アルツハイマーは病気なのです。

(専門家でもないのに診断または見立てに類することをすると、今も私のサイトに来てくださっている《と思います》「大阪の体育教師」先生あたりに叱られそうですが)、
>昔は事務仕事は得意で、ほとんどミスがなかった
 というならこれは障害であるはずはなく、したがって発達障害ということではないでしょう。
 昔はできたのに今はできない、昔は得意だったのに今はうまくできない――こうした状況に際して、私たちが通常採用する説明は発達障害ではなく、(それがお気に召すかどうかは疑問ですが)普通は「老化」です。私などはしょっちゅう「老化」で自分を説明しています。
特に新しい環境に馴染むという点では、若者と同じ土俵に立つことはできません。

あるいは、年齢を重ねると期待される(期待されていると自分が考える)レベルが違う、ということもあります。
小学校に異動したときの私がしんどかった理由の一つは、明らかに自分が新卒のペーペーではなかったからです。もう40歳を越えていましたから誰も積極的に手を出してくれません。遠慮してしまいます。私の方も、新卒のペーペーではないのだからもっとうまくやらなければならないという見栄があります。
ただ、私の場合は「ほんとうに深刻になる前に心がスーッと逃げていい加減になれる」という(他人から見ればかなりあくどい)特徴がありますので、悪循環に陥ることがないのです。初期のミスに深くこだわると次のミスを防げません。ミスがミスを呼ぶだけで、これを普通は「悪循環」と呼んだりします。

 私自身が悪循環で苦しむということがあまりないので秘策というのも分かりませんが、孤独にならないようには注意したいところです。素直になり、他人の援助を引き出さなくてはなりません。
 私など、異動してきて3年たっても、
「すみません、異動してまだ日が浅いので教えてください」
とか言って他人に頭を下げていました。

 嘆いたって、隠したって、憤ったって、結局、できないことはできないのです。
 できないことは他人に手伝ってもらって、できることで恩返しするしかありません。
 私はそう思います。


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