teacup. [ 掲示板 ] [ 掲示板作成 ] [ 有料掲示板 ] [ ブログ ]


新着順:1/106 記事一覧表示 | 《前のページ | 次のページ》

アーネスト・サトウと大菩薩峠

 投稿者:林和夫  投稿日:2021年12月 6日(月)13時01分39秒
  通報
  介山荘のご主人は、勝縁荘を営んでいた益田勝俊氏のお孫さんです。
この山の登山の歴史を辿ってみると、明治、大正、昭和と意外な人物で繋がっていました。
以下、そのお話しです。

明治期、英国の外交官アーネスト・サトウは、日本国内旅行で各地をまわり記録を残しています。その記録に1873年と1877年の大菩薩峠を含む甲州の旅があります。この中に当時の大菩薩登山の様子、詳細にが描かれています。
(サトウの旅行記「日本旅行記」二巻(東洋文庫)庄田元男 訳)

サトウの次男である武田久吉氏が大菩薩峠と縁のあることを私が知ったのは、勝縁荘の主人であった益田勝俊氏について書かれた「大菩薩峠の囲炉裏」(1983 自費出版本)の中の記述です。

 「朽ち崩れていたこの長兵衛小屋を建てなおし、鍋、釜、茶わんなど地元塩山町の商店街から寄付してもらって備えつけ、益田さん自身は十日に一度ぐらい、薪の補給に出かけているうちに、日本山岳会の前身である”霧の旅”のメンバーの武田久吉氏らに、「長兵衛小屋もいいけれど、もっと峠の近くに、番人が常駐する本格的な山小屋を造ったらどうか」とすすめられた。」(P.102)

 大菩薩峠に最初の本格的山小屋が建てられたのは1932年。アーネスト・サトウが大菩薩峠を最初に訪れて59年後のことです。この時、武田久吉氏(植物学者)が、父の山旅の記録を読んでいたかどうか? 益田勝俊氏が、アーネスト・サトウの名前を聞いたことがあったかどうか?
山小屋は、当時、都新聞に小説「大菩薩峠」を執筆、連載中の中里介山によって「勝縁荘」と名付けられました。

明治の初めに東京から歩いて奥多摩経由で大菩薩峠に登ったアーネスト・サトウ、十分な地図も無い明治の終わりに訪れた武田久吉、昭和の初めに山小屋を建設した益田勝俊(介山荘主人の祖父)。その流れの中に今の介山荘があることを考えると不思議な繋がりを感じます。
この山小屋がいつまでも登山者に愛され続けることを祈ります。

 
 
》記事一覧表示

新着順:1/106 《前のページ | 次のページ》
/106